高津神社(大阪市中央区高津1丁目)
仁の風は宇宙を吹きわたり徳は乾きをうるおす。合わせて「仁徳」
神社の西側に石段があり、それぞれ相合坂(縁むすび坂)、西坂(縁切り坂)という。
縁むすび編 相合坂を二人で。頂点での出会いはピタリ息を合わせて
神前結婚式にもグッド。二人だけ~親族友人参加式。披露宴も対応してくれるそう(社務所にお聞きください)
横(西)から見ると二等辺三角形の頂点で二つの石段が交わる。頂点で出逢った男女が一緒に神社への石段を登る。
男性がこちら、女性があちら、といったルールはなさそう。カップルでそれぞれ好きな方を。
恋文のくじ(2019年春~)
縁むすび坂を無事登り終えたら社務所へ。
「息子の参考に」と適当なことを言いつつ引いた。
十四番)うちひさつ 宮の瀬川の 顔花の 恋ひてか寝らむ 昨夜も今夜も
現代語訳、書き写し)宮の瀬川のほとりに咲く顔花は、太陽が沈んで夜になるとしぼんでしまうの知ってた?あなたに逢えない日の私みたい。ゆうべもシュンってしぼんでたのよ。今夜もシュンってしぼんじゃう(逢えない日)
うん!わかった。顔花って朝顔のことやんな。
縁切り編 縁切り坂を下る。一人でもよさそう
縁を切りたい方はコチラ。曲り石段が特徴。説明板では明治初期まで「三下り半」になっていたそう。降りて効能があるようだ。
縁むすび坂をリバースで「二人で下りてわかれる」というのも効果がありそうに思うが、聞いていないのでわからない。
なお同じ縁切りでも、藁人形と五寸釘セットや鎌を使ったハード系ではないため、効力は緩やかである可能性がある。
*****
仁徳天皇 愛の遍歴とおおらかさ
高津さんの右座には、后の「葦姫皇后」と長男の履中天皇が鎮座する。
仁徳天皇の皇后は二人。前皇后の磐之媛命(※1)と後皇后の八田皇女(※2)だ。前皇后は履中天皇、反正天皇、允恭天皇の実母でもあり血統の優先性で「磐之媛命」が鎮座していてもおかしくないはず。他に3人の妃(いわゆる愛人)の存在も伝えられるがその中に「葦姫」の名はない。私としては、葦は「女性」を意味し、仁徳天皇が愛した皇后・妃をまとめた神名であると解釈している。いずれにしても「盛んな」天皇であったとともに、愛した女性を「ひとりも見捨てない」おおらかな人柄だったのだろうと思う。(今回はここの謎解きがテーマではないので推理は雑です)
「谷末社」は、常高社(大山祇命、おおやまつみ)、白菊社(草野姫命、かやぬひめ)、千年社(大市姫命、おおいちひめ)の三座。お父さん、お母さん、娘の構成。大市姫命はイチキシマヒメ(弁天さま)のこと。
「陰陽石」はいわゆる男女を表現した石。仁徳天皇の神社ならではの史跡と言える。東側の梅林の小路、塀外から眺めた方が遠目でわかりやすいが、ほとんどの人は知らずに通り過ぎる。
※1:磐之媛命(いわのひめのみこと、古事記:石之日売)嫉妬でヒステリックになったことが伝えられている