ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

日本の謎の古代史 考える時のポイント(2)神話の生まれ方 クニビキ クニウミ

「国生み」「国引き」の神話がある。

国生みは、イザナギイザナミ天の浮橋にたって、長いホコで海のドロドロをかき混ぜると、固まって最初に淡路島ができて・・・という話(古事記日本書紀

国引きは、イズモの王・オミツヌがそれぞれのクニの余っている所にロープをかけ、ヨッコラショと引いてクニを大きくしたという話(出雲風土記

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クニウミ クニビキ

ふたつの話に共通するのは「海」

海が浅くなると、神話のような自然現象が起こる。

海退(かいたい)と沖積(ちゅうせき)

南極と北極の氷が解けたり増えたりすると海水面が変化、海が深くなったり浅くなったりする。地球はこれを何度も繰り返してきた。最近では、

● 13,000年前から6,000年前の7,000年間に120メートル海が深くなり(縄文大海進)

● その後、2000年前(弥生初期)までに6メートル海が浅くなった(弥生海退ということもある)

詳しくはここがわかりやすい。

ピンとこない人もいると思うので「6メートルの海退」に絞って、

まずは出雲地方の変化。

海が浅くなって、海峡がせばまり、

クニが引っ付いてゆくように見える

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出雲神話と医薬・看護より(以下同じ)

奈良時代(海退後、沖積平野形成の時代)出雲大社の眼下・南側には神門の水海(かんどのみずうみ)。

入海の東側に海底砂丘弓ヶ浜半島)が海面に顔を表す。

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出雲地方の海退

現在は、斐伊川が東に向き宍道湖は汽水に。中海は海水(塩水)。

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現在の出雲地方

次に、私が住む大阪(上町台地)。海の浅いところに数えきれない砂州、大小の島が生まれ、ひっつき、大きな土地になってゆく。

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河内湾(約6000年前) 河内潟(約3000-3500年前)

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河内湖(約2000年前) 現在

クニが生まれるように見える

晴天の日に生駒山から大阪湾(瀬戸内海)を一望すると・・・ひときわ大きな淡路島。

クニウミ神話は生駒山からの展望(パース)だと考えている。海に突き出して成長する上町半島は「長いホコ」に見え、先端のしずくから次々とクニ(土地)が生まれる。

海退で水稲弥生時代が始まる(縄文時代が終わる)

どちらも「海退」で海が浅くなり、露出した海底地に川からの土砂が積もって「沖積平野」ができる。

出雲の斐伊川(ひいかわ)は面白い。奈良時代、河口は西を向いていたが、今は東に向いている。おかげで汽水(塩分の薄い)の宍道湖(しんじこ)が生まれた。

出雲大社の南側には一時、大きな「神門の水海(かんどのみずうみ)」があったが、今は大部分が出雲平野に飲み込まれ、神西湖(じんざいこ)として残っているだけだ。

大阪・河内は北から淀川、南から大和川に攻められ、湾が潟に湖になりながらキャッツアイ型に狭まり、やがて消えてなくなった。

沖積が進んで、どちらにも大きな平野ができ、そこで稲作(水田)が始まる。

「クニビキ・クニウミ」と「稲作」、そして「国造り(古代の国土開発)」はリンクし、弥生と云われる新時代の幕を開いた。

時差はあるが、国造りの主役となったのが出雲(先発)と物部(後発)。

クニビキは出雲のイメージ、クニウミは物部のイメージ。

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