ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【津島神社(5)】東日本と西日本を結ぶ海の回廊

名古屋の古地形図を眺めていますと、桑名を西岸に、#津島神社 〜琵琶島(清洲)〜#熱田神宮 のラインは、古代の西国と東国を結ぶ #海の回廊 であった様子が見えてきます。#ミシャグジ信仰 #天白信仰

目次

本文

古代の海の回廊

【前回記事】

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創建時、あるいは、神社社殿創建前の、津島神社の地を考えるため、グーグルマップに書き込んでみました。

黄色の○・黄色ラインが本日のテーマの 古代の海の回廊

弥生時代後期〜古墳時代というところでしょうか。

時代が進んで、江戸期、白○が東海道の宿場町・西の宮宿と東の桑名宿を結ぶ 七里の渡し(水路)

古代の海の回廊。江戸期・東海道の唯一の水路「七里の渡し」

江戸期においても、宮宿と桑名宿は水路(七里の渡し)で結ばれていたわけですから、現在の名古屋市を中心とした都市部の南半分は浅海(伊勢湾)で、

となれば、それより以前の、例えば古墳時代には、海岸線はもっと北、少なくとも、津島(神社)〜枇杷島〜熱田(神宮)を結ぶラインに沿ってあったと考えるのが妥当でしょう。

ja.wikipedia.org

東国と西国を結ぶところ

古墳時代のヤマトからみれば、伊勢湾の西側沿岸(桑名を含む)が国の境で、

伊勢湾の対岸から向こうの東側は、未開の地、つまり、蝦夷が住む 東国 という認識で、

ゆえに、古墳時代中期(おそらくワカタケル…雄略天皇期)より、ヤマトの本格的な東国支配が開始された時代に、ヤマトが支配する西国と、蝦夷の地・東国を結ぶ、古代の海の回廊の存在を考えることは、さまざまな想像を掻き立たせてくれます。

古代の信仰圏

例えば、以前取り上げた、縄文石棒文化を継承したと考えられるミシャグジ信仰圏の話。

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諏訪を中心としたミシャグジ信仰は、東の千鹿頭(チカト)信仰と西の天白信仰と関連し、棲み分けますが、

天白信仰の中心に現在の名古屋市圏が含まれます。

また、ミシャグジ信仰、および、天白信仰の西の境界は、近畿の琵琶湖東岸(今井野菊氏)

ミシャグジ(御社宮司)・チカト(千鹿頭)・テンパク(天白)信仰圏

ここで想い出すのが、津島神社二回目(牛頭天王スサノオ)の話。

「全国で牛頭天王を祀る神社は、京都八坂神社と、この尾張津島神社が有名ですが、おおむね、琵琶湖東岸を境にして西は八坂、東は津島のすみ分け がなされた」。

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京都八坂神社と尾張津島神社の棲み分けが、ちょうど、琵琶湖東岸で一致しています。

このことは間接的ではありますが、尾張津島神社の信仰に、ミシャグジや天白信仰が内包されている可能性を示唆しています。

名古屋市天白区という、古地名が、冒頭のグーグルマップの地図の外になりますが、熱田神宮の東側に位置するのが面白いですね。

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