そうだ京都行こう
はじめに 京都 #太秦 #蛇塚古墳は上部の土が流れ露出した石室の方位が確認できる上、周囲の住宅の区画から、かつての前方後円墳の方位を見ることもできます。石室の軸線は北西の #阿刀神社 を指しています 目次 前方後円墳・中心軸線の方位 京都太秦・蛇塚古…
はじめに 明治・大正期まで #京都太秦 一帯は関西屈指の古墳群だった模様。戦後の高度経済成長期の市街化も相まって今では数多くの古墳が姿を消しました。#天塚古墳 が住宅街の中に残されているのは希少例といえます #清水山古墳 #千石荘公園 目次 残された…
はじめに 嵯峨野・太秦(うずまさ)古墳群の中では蛇塚古墳に次ぐ全長70メートルの #前方後円墳 #天塚古墳(6世紀前半・古墳時代後期築造)築造年代や規模から太秦で栄えた #秦氏 一族の首長クラスの墳墓と考えられます #稲荷信仰 目次 天塚古墳(あまづか…
はじめに 弘法大師 #空海さん 母方の家系で、平安時代以来 #東寺執行職 を世襲している #阿刀家 所蔵の秘宝は1983年4月に国立京都博物館に寄贈・寄託されました。当時の新聞より情報と画像 目次 京都国立博物館に寄贈・寄託された阿刀家秘宝 約三千点(1983…
はじめに 弘法大師 #空海さん の平安京での活躍の根源を考える時、母方 #阿刀氏 の動きは参考になります。先日紹介した嵯峨野 #阿刀神社 の由緒を補足。阿刀氏は #饒速日命(にぎはやひのみこと)の孫 #味饒田命(うましにぎたのみこと)を祖とする物部氏の…
はじめに シリーズ3回目 #空海さん の母方 #阿刀家 が平安から明治までの千年以上世襲した #東寺執行。東寺の事務局といったイメージでしょうか。その本部あったのが阿刀家の氏神を祀る祭壇 #石上布留社 #フルの意味 目次 石上布留社(いそのかみふるしゃ)…
はじめに 前回の続き #波切不動明王 京都市の案内板には「四国路、東寺、高野山などの霊地に参っても #弘法大師 のお地盤(おじば)であるここの #不動明王 に参らないと御利益が頂けない」と。優しい柔らかな表情が印象的 目次 浪切不動明王(なみきりふど…
はじめに 東寺の北大門から数分、#波切不動明王(なみきりふどうみょうおう)#石上布留社(いそのかみふるしゃ)が並んでいます。さほど大きくない境域に #弘法大師 #空海さん の血脈を考える上で、たいへん重要な歴史が詰まっています #佐伯氏 #阿刀氏 目次…
はじめに 京都の #東寺。弘法大師・空海さんが高野山に参篭するまでの約10年間、平安京で過ごした #大師堂(西院御影堂)#毘沙門堂 #小子坊 #蓮花門 目次 東寺 大師堂(西院御影堂)室町時代再建 東寺 毘沙門堂 東寺 大師堂(西院御影堂)の様子 東寺 蓮花…
はじめに 新幹線から京都を感じさせてくれるのが #東寺 #五重塔。かつての #平安京 #朱雀大路 南端の羅生門の東に位置した国営官寺。#弘法大師 #空海さん が別当として約十年間活躍。#教王護国寺 #金堂 #講堂 #食堂(じきどう) 目次 東寺(教王護国寺)の後…
はじめに 墳丘長70メートル級。#垂箕山古墳(片平大塚山古墳)は #太秦 の代表的な #前方後円墳 のひとつ。宮内庁は桓武天皇の第十二皇子・仲野親王の陵墓と治定していますが、時代的にも考えにくい話です 目次 垂箕山古墳(片平大塚山古墳・仲野親王高畠…
はじめに 京都太秦(うずまさ)エリアの北西端、嵯峨野に近いところに #阿刀神社。神社名から #弘法大師(空海さん)を生んだ古代豪族 #阿刀氏 の山城国における氏神であった考えられます 目次 京都嵯峨野 阿刀神社(あとじんじゃ) 京都嵯峨 阿刀神社 御由…
はじめに 石清水八幡宮創建前の男山には先住民の古い信仰があったといいます。#八幡愚童訓(八幡宮由緒)には #安曇氏 祖神 #安曇磯良 の正体が書かれています #志賀海 #住吉 #春日 #鹿島 目次 石清水(男山)先住民の信仰地・男山 石清水八幡宮御由緒に登場…
はじめに 日本の古神道は #稲作弥生時代 が起源でしょうか。#弁天信仰 の由緒を伝える #京舞 #竹生島 は #水と太陽の祭祀 の聖地の「古くて忘れられた繋がり」を暗示しています #石清水八幡宮 #四天王寺 目次 幽玄の世界 京舞・竹生島(ちくぶじま) 四天王…
はじめに 石清水八幡宮の創建「前」とは。#男山 の東 #水分社 #伊勢神宮遥拝所 #岩清水社 #大扉稲荷社、麓の #相鎚神社。かつての山上からの #岩清水の流れ に沿って並びます 目次 石清水八幡宮 東総門の外 細橋(ささやきばし) 石清水八幡宮 摂社 石清水社…
はじめに 木島坐天照御魂神社(#木島神社 #蚕の社)の末社・三十八所神社には歴史が詰まっていました。三社の御由緒が判明、備忘録として書いておきます。#椿丘大明神 #魂鎮神社 #顕名霊社 #鎌倉殿の13人 #三井家 目次 末社・三十八所神社 ①椿丘大明神 ②魂鎮…
はじめに 木島神社は嵯峨天皇(800年代、平安時代)の世に下鴨に遷座し #元糺 に。御神紋の #フタバアオイ や夏の土用の丑の日の神事がこん跡。さて三方正面の #三柱鳥居 には「四方」があるとされ「もう一方」を考えてみました 目次 二葉葵(ふたばあおい)…
はじめに 先日、紹介した #三川合流 の #背割堤。美しい景観に惹かれて再訪。#石清水八幡宮 が鎮座する #男山 の北。京都北部からの #桂川、京都東部からの #宇治川、南東部からの #木津川。三河川が合流して #淀川 と名を変えて大阪に流れて行きます 目次 …
はじめに 京都・太秦(うずまさ)松竹映画撮影所の南、住宅街に #蛇塚古墳。京都府では最大の横穴式石室を持つ前方後円墳(7世紀ごろ。古墳時代後期末)当地で繁栄した #秦氏 の首長クラスの墳墓と考えられています 目次 蛇塚古墳(へびづかこふん) 石材は…
はじめに 太秦 #蚕の社 #白清稲荷 は洞窟のような稲荷の祠。直後に参拝した #天塚古墳 石室の #白清大神 とソックリ。繋がりはその夜に判明。偶然が次々と繋がってわかったお話 目次 木島神社境内 白清稲荷 白清稲荷(白清社) 天塚古墳(太秦古墳群のひとつ…
はじめに 京都 #木島坐天照御魂神社 通称 #蚕の社 が鎮座する #太秦 は雄略天皇の時代(古墳時代)呉国から渡来した #秦酒公 子孫 #秦氏 が発展した地。 #蚕養神社 #元糺の池 #三柱鳥居 #京都の三珍鳥居 目次 通称 嵐電(京福電気鉄道嵐山本線) 木島坐天照…
はじめに 京都市北西、太秦(うずまさ)の北 #雙ヶ岡(ならびがおか、標高116m)。洛北洛西を眺める名勝地 #愛宕山 #仁和寺 #古墳群 目次 雙ヶ岡(ならびがおか) 雙ヶ岡の古墳群 雙ヶ岡からの眺め、愛宕山に懸かる虹 本文 雙ヶ岡(ならびがおか) 雙ヶ岡(…
はじめに 平安時代に定められた #二十二社(上七社・中七社・下八社)の社格。上七社の筆頭が #伊勢神宮、第二位が #石清水八幡宮。それぞれの御祭神(#天照大神 #八幡大菩薩)が出逢うところが境内にあります #伊勢神宮遥拝所 #細橋 目次 二十二社 天照大神…
はじめに 神職さんガイドの #石清水八幡宮 夜間特別拝観に参加。同社の謎は多くこの機会に基本的なことを勉強しておきたいと参加。驚いたのがエジソン濃度の濃さ。八幡市の誇りですからね。前回不足分をあらためて紹介 目次 石清水八幡宮 神苑 トーマス・エ…
はじめに 京都・八幡市 #男山 山上の #石清水八幡宮。御本殿をお詣りしてから時計回りでぐるりと一周。美しい朱色の国宝・御本殿を四方から眺めることができます。信長公が本能寺の変の二年前に寄進した #信長塀 がぐるりを囲みます 目次 石清水八幡宮 御本…
はじめに 先週末、朝から #祇園 を歩いて #八坂神社。境内の桜も見ごろ。良い天気の空を見上げると×印の飛行機雲、そして〇印の #ハロ(日暈)。どちらにしても次の日はやっぱり雨でした 目次 京都祇園から八坂神社 八坂神社 境内 八坂神社(正面)西楼門 本…
はじめに 久しぶりに桜の季節の #祇園界隈。祇園の春は #都をどり で始まります。#白川 #新橋通り #辰巳大明神 目次 祇園の春は桜の花と『都をどり』 祇園白川 辰巳大明神 新橋通り 本文 祇園の春は桜の花と『都をどり』 先日、京舞(家元)の井上八千代さん…
はじめに 京都の竹林は嵯峨野が有名ですが、#石清水八幡宮 が鎮座する #男山 も美しいです。表参道沿いの坊跡にたくさんの竹。明治期、エジソンの白熱電球のフィラメント(発光体)用に、#八幡の竹 が輸出されていたそうです 目次 石清水八幡宮(男山)表参…
はじめに 石清水八幡宮が鎮座する #男山(おとこやま)東麓 #相槌神社(稲荷)神が来りて刀鍛冶の匠と相槌を打ったという伝承が神社名に。#山ノ井 の霊泉湧き出るこの地に #源氏 の #髭切 #膝丸 作刀伝承 目次 相槌神社(京都府八幡市八幡平谷10) 山の井の…
はじめに 木津川・宇治川・桂川の三川(さんせん)が合流するところの南側、男山(おとこやま)の山上に鎮座する #岩清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)。8時以降はケーブルを利用できますが、早朝のため #表参道 一・二・三の鳥居をくぐりながら徒歩で…