万葉集
はじめに 飛鳥の新時代に向けた大阪 #四天王寺 創建にあわせ #聖徳太子 が瓦造りのためにひらいた湖東平野の #市神神社。由緒に職人たちの街づくりの起点として #ゑびす様(#事代主命 土地開発の神格)を祀ったとされています #額田王 #安倍晴明 目次 市神神…
はじめに 万葉歌で #隠国(#こもりく)は #初瀬川 にかかる枕詞。初瀬川は#さんちゅう(山中…傘中?)に端を発し、三輪山の麓で大和川に名を変え奈良盆地(#くんなか、国中)を横断、大阪に向かって流れ下ってゆきます 目次 初瀬川(大和川) くんなか(国中…
はじめに 大和の国中(くんなか)。神話世界では #神浅茅原(かむあさぢはら)、古い時代から #磯城(しき)と呼ばれたところ。景色を楽しみながら、この秋は歩こうと考えています #大和川(初瀬川) #村屋坐彌冨都比賣神社 目次 奈良盆地の国中(くんなか)…
はじめに 深江稲荷神社に隣接する #深江郷土資料館。深江の鋳物師(人間国宝)#角谷一圭氏(故人)鋳造品、#深江笠縫保存会 の菅細工、各地の人間国宝級の工芸品が展示されています #大嘗祭 #伊勢神宮式年遷宮 #笠縫の島 目次 深江郷土資料館(大阪市東成区…
はじめに 播磨灘を見晴るかす丘の上に #平林貴船神社。毎年十月、出雲に旅立ちまた帰省する産土の神が立ち寄ったところから #寄神様 と云われたそう。浜辺に近いところに弥生時代以来 #塩づくり のムラがありました #藻塩 目次 平林貴船神社(兵庫県淡路市野…
はじめに 巨大な #明石海峡大橋 を眺める淡路島の #松帆の浦 から #明石海峡。#万葉集 に #明石の大門(明石の門)と詠まれた海の難所でした。#海人 #恵比寿神社 目次 弥生時代より海人(あま)が活躍した松帆の浦 明石海峡大橋 本文 弥生時代より海人(あま…
はじめに 藤原京の太極殿の北に隣接する #醍醐池。都の内裏にありました。ヤタガラス考察で気づいたのですが、この池は #水鏡の方位盤 #古代の太陽カレンダー だったように思います #持統天皇(女帝)は水辺を巡り、冬至・春分・夏至・秋分の一年と四季を「…
はじめに 桜井市脇本 #春日神社。境内には #神使のシカ が彫られた春日灯篭。御本殿には二頭のシカの像。拝殿前にシカの角が置かれてました。#伊勢街道 沿いにシカの万葉歌碑。お詣りの後、神社北の山奥の道でシカに出逢いました 目次 長屋の屋根の形をした…
はじめに 桜井市出雲 #野見宿禰の塚跡。明治期に塚が取り壊された際、中にあった朱を捨てたところ、初瀬川(大和川源流)の水が三日三晩、赤く染まったと伝えられます。塚跡からは #原始三輪山 著者・榮長増文氏が #三諸山 と提唱する山容を眺めることができ…
はじめに 巻向山奥不動寺近くの山腹の #白山(しろやま)から、ほぼ真南に山を下った黒崎地区の氏神 #白山比咩神社。白山神社とも。境内あたりが #雄略天皇(第21代 #ワカタケル)#泊瀬朝倉宮 伝承地。また #万葉集 巻頭を飾ったナンパの歌の碑 目次 (黒崎…
はじめに 『難波津や ふるき昔の あしがきも まちかきものを 転法輪所』鎌倉時代、#四天王寺 #転法輪石 を詠んだ #慈円(愚管抄の著者、天台座主)の詩。#あしがき の解釈がたいへん難しい。#クナト信仰 #熊野詣 #道標の信仰 新カテゴリー #新説四天王寺 目…
はじめに 万葉集巻二十 兵部省役人だった歌人 #大伴家持 選 #防人の詩 約九十首が掲載。徴兵された東国の人々が #難波の海 を見つめ前線に向かう自身と家族の行く末を案じた心情を詠います。その中に #四天王寺 にあったと推定される社のヒントがあるかも知…
まとめ 柿本人麻呂公は #飛鳥 で最愛の奥方を失くしました。妻への哀悼歌で詠われた #大鳥の羽易の山。頭は #三輪山、#龍王山 #巻向山 が両翼の大鳥にたとえました。飛び立つ鳥を遠く眺むるところに葛城の #柿本神社 があります 目次 葛城・柿本神社(かきの…
まとめ 橿原神宮 東鳥居から本殿の方へ進む途中に #畝傍山 登山道。山頂まで約30分。お山には秋の気配。山頂には #畝火山口神社跡 #住吉大社 の禁足地。ヤマトのクニの東西をまとめて国見できます #二上山 #耳成山 #天香久山 #曼珠沙華 目次 柿本人麻呂 畝…
柿本人麻呂公像(高津柿本神社)島根県益田市高津町 AC まとめ 柿本人麻呂。各皇族や宮の動静を深く知る立場にありながら、宮使いの舎人としてレッドラインを超えないわきまえと文学素養があり、ゆえに万葉集の編集者として適任でした。そんな歌聖の危ない橋…
天智・天武系図 大津皇子と草壁皇子(緑表示は、生年~没年) まとめ 大津皇子(反逆の嫌疑で自害)の後 #草壁皇子(病死?)。次世代が相次ぎ早世した時期の万葉歌を時間軸で並べてみました。草壁を悼んだ #柿本人麻呂 勾り池の水鳥の歌(2-170)は、大津の…
まとめ 幼い頃に自分たちを守るべき母を亡くした幼い姉弟。大伯皇女と大津皇子はお互いに大切な家族。運命は二人をあの世とこの世に引き裂きます。姉は約束どおり、自分が居るところが見える二上山の麓に弟を葬った。。。のでしょうか 目次 ももづたふ 磐余…
まとめ 現世の姉 #大伯皇女 は、#吉備池 から 遠く #大和二上山 をのぞみ、あの世の弟 #大津皇子 を想います。 過酷な運命に翻弄された姉弟の哀しい物語。#万葉集 #磐余 目次 うつそみの 人なるわれや 明日よりは 二上山を いろせとわが見む 吉備池の名の由…
目次 中大兄皇子、巻1-13 額田王、巻1-18 持統天皇、巻1-28 志貴皇子、巻1-51 作者不詳、巻1-78 大津皇子、巻2-107 まとめ 万葉集は古代妄想から眺めると面白いですね。脚注(記事末)に書きましたが、有名な #持統天皇 の歌は、えっ!?と思うところ…
古代、大王(おおきみ)が高い所にあがって『国見、くにみ』できる範囲がクニと考えられていました。 『ヤマトのクニ』の主要な舞台は、おおよそ、周囲を山に囲まれた大和盆地(大和平野)。 大王の『ヤマトのクニ』のイメージ 飛鳥時代、甘樫丘(あまかしの…
難波宮(太極殿)大阪城が見える 間人皇女(はしひとのひめみこ)の置かれた状況 本シリーズの主役、間人皇女(はしひとのひめみこ)の立場(系図参照)で、彼女が何を考え、行動したのか、考えてみます。 ● お母さんの法提郎女(ほほてのいらつめ)は蘇我系…
万葉集の編纂に関わったとされる大伴家持(おおとものやかもち、718年頃~785年)は、三十六歌仙の一人で、小倉百人一首にも名を連ねる。 百人一首 大伴家持 歌人として知られるが、実は、ヤマト朝廷以来の古代豪族、武人の家系で、奈良時代の大伴氏の…
出雲のオオクニヌシと、高志(こうし、古志)のクニのヌナカワヒメ(沼河比売、奴奈川姫など)が結ばれた話がある(出雲風土記、古事記) 高志とは今の福井県から新潟県におよぶ日本海の古代のクニで、オオクニヌシの時代、ヌナカワヒメはクニのヒメミコであ…
もう◯十年前の話で学生時代、大阪の朝日放送というところでアルバイトをしていた。 報道フィルム(16mm)を切ったり貼ったりしてニュースで流す部門の作業補助をしていた。 今はデジタルビデオなので、その前(アナログビデオ)の前の時代のことである。…