ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

摂州住吉宮地全図

弥生時代と古墳時代が交差するところ。摂津住吉【住吉大社 正印殿跡(3)】

千五百年にわたり #住吉大社 神主家であった #日本三家のひとつ #津守氏 の居館があったところに #アラハバキ 的な陽石(石棒)と陰石(胎内石)。住吉さんに残る子孫繁栄・五穀豊穣を祈る南北ラインと関係か。#仁徳天皇陵 目次 住吉の南北を繋ぐライン 出雲…

【住吉大社 正印殿跡(2)】歴史的な史跡に残された古い信仰のこん跡!?【結の神社。陽石と陰石】

住吉大社の歴代神主であった #津守氏 居館があったところ。今は史跡保存されている住吉行宮跡・正印殿跡(二回目)。域内には小祠がいくつか。そのうち #結の神社 のそばに #陽石(石棒)と #陰石(丸石)。#アラハバキ信仰 目次 住吉さんの南。古代「住吉の…

【住吉大社 正印殿跡(1)】神主家・津守氏の居館、南朝仮御所が置かれたところ【住吉行宮跡】

かつて #住吉大社 神主家であった #津守氏 の居館があったところの #正印殿跡。#南北朝時代 には #南朝 #後村上天皇 の仮御所(#住吉行宮)が設けられました 目次 住吉行宮跡(正印殿跡) 住吉行宮(すみよしあんぐう) 本文 住吉行宮跡(正印殿跡) (34.60…

海人族・安曇氏の交差点【住吉大社摂社・大海神社】

はじめに 一昨年の年末、住吉大社摂社 #大海神社 を参拝した時に、ご老人からいただいた #摂州住吉宮地全図。江戸末期の住吉さんの境内図。どうも東西よりも南北を意識して描かれていることに気が付きました。当時の考察とあわせてあらためて紹介 目次 大海…

【誉田八幡宮】(巨大)前方後円墳の拝み方・考★★【応神天皇陵古墳 またの名は恵我藻伏崗陵】

誉田八幡宮 神社と前方後円墳の関係を考えるのに、 誉田八幡宮と応神天皇陵古墳(別名;恵我藻伏崗陵、えがのもふしのおかのみささぎ)にお詣りしました。 誉田八幡宮 鳥居の向こうのこんもりした所が応神天皇陵 ご覧の通り、鳥居-本殿は東向き、本殿脇の参…

住𠮷さんあたり(14)住吉参りと住道(すんぢ)【神須牟地神社】※造化三神、1月29日追記

住吉大社の反橋~三本宮を結ぶ中心ラインの東 神須牟地神社 住吉大社の反橋(そりばし、太鼓橋のこと)、三つの本宮(第一・第二・第三)は一直線に並んでいるが、この中心ラインを東に約1キロ伸ばしたところに神須牟地神社が鎮座する。 神主さんはこの空間…

摂州住吉宮地全図の謎を追う(3)【開口神社 珍しい三つ茄紋 通称 大寺さん】住𠮷さんあたり(12)

前回記事(摂州住吉宮地全図(1827年)に描かれた住吉さん-仁徳陵、南北ラインの謎を探訪) www.zero-position.com 今回は 方違神社 の西、約1キロに鎮座する開口神社(あぐちじんじゃ)の紹介(大阪府堺市堺区甲斐町東2丁1-29) 方違明神社と三村明神社(…

摂州住吉宮地全図の謎を追う(2)【住吉大社と仁徳天皇陵を結ぶ南北ラインの謎】住𠮷さんあたり(11)

はじめに 住吉大社の参拝で偶然に出会ったお爺さんにいただいた #摂州住吉宮地全図。江戸後期の #住吉大社の観光ガイド地図。南北に一直線に通るラインを意識して描かれていることに気が付きました。そしてそのラインを南の方にたどって行くと、堺の #方違神…

摂州住吉宮地全図の謎を追う(1)【反正天皇陵の北に鎮座する方違神社】住𠮷さんあたり(10)

年末、住吉さんにお参りした時、たまたま出会ったお爺さんにいただいた江戸後期の「摂州住吉宮地全図(1827年)」。 境内と摂末社のガイド(観光案内図)と考えられるが、今の住吉さんとは少し違うところもあり、正月に調べていた。 前回記事 www.zero-p…

住𠮷さんあたり(9)摂州住吉宮地全図(1827年)に見える明治の神仏分離以前の大社の姿と新たな謎

前回(住吉・大海神社お参りの時、たまたま出会ったお爺さんから摂州住吉宮地全図(1827年作)をいただいた) www.zero-position.com いただいた地図は明治の神仏分離(1868年)直前の住吉大社の姿で、境内の神宮寺(じんぐうじ)が描かれている貴重なものだ…

住𠮷さんあたり(8)境内摂社 大海神社 出会ったお爺さんにいただいた摂州住吉宮地全図(1827年作)

休みも始まり、久々、自宅から住吉さん(住吉大社)まで8キロウォーキング。 あべのハルカス前からは、ほぼ阪堺(はんかい)電車の軌道に沿って歩くウォーキングコース。 パンダ電車、あべのハルカス 大海神社と海幸山幸(うみさちやまさち)神話 住吉大社…