第11代垂仁大王(活目入彦五十狭茅天皇)
例えば京都。京都盆地有数の名水・名酒で知られ、伏水が湧く地であることから #伏見 という名が生まれたというのが定説ですが、私は伏見の由来は #土師氏 ではないかと推理しています。 目次 土師氏と伏見(京都) 土師氏と伏見(奈良) 「伏拝、ふしおがみ…
はじめに 志摩国一ノ宮 #伊雑宮(いざわのみや)から北に #倭姫命旧蹟地。大正年間に楠の根本から墳墓の天井石とともに鏡や勾玉が出土。しかしその事実は官憲に封じられたと地元有志の案内板は伝えます #千田の御池 目次 倭姫(やまとひめ)の元伊勢の旅 倭…
はじめに 古墳時代幕開けの前期古墳 #箸墓古墳 #ホケノ山古墳 の墓域中心を結ぶラインは東の #巻向山 を指します。この事実から現段階で推理できることを過去記事を含め整理 目次 箸墓古墳とホケノ山古墳が結ぶライン 二つの古墳を結ぶラインの先に…ヤマト創…
はじめに 漁港の街 #国崎(くざき)#海士潜女神社。垂仁天皇の皇女 #倭姫(やまとひめ)は #海女 の #お弁 より献じられた鰒(アワビ)を #伊勢神宮 の神饌としました #かづきめ #くぐりめ #熨斗鰒 目次 海士潜女神社(あまかづきめ、または、あまくくりめ …
はじめに 学術論文のようなテーマになってしまいましたね日本書紀 #垂仁天皇 #野見宿禰 のよく知られた話から、#宝来山古墳 が垂仁天皇陵ならば、太陽方位を共有する#富雄丸山古墳 の被葬者は!? 目次 奈良盆地北西の「トミ」伝承地エリア 「トミ」に関連す…
はじめに 第11代 #垂仁天皇 治定墓 #宝来山古墳 に三羽の大鳥。その壮大で緻密な景観づくりには、被葬者の不老不死と復活再生への強い祈りが込められているように思います #蓬莱山 #常世国 目次 春日の大鳥、生駒の大鳥 宝来山古墳で鳥見(垂仁天皇陵治定墓…
はじめに 第11代 #垂仁天皇陵 に治定される #宝来山古墳 周濠の浮島には常世国(とこよのくに)に渡り苦難の末に橘(ミカン)を持ち帰った菓祖 #田道間守 の #非時香菓 伝承が残されています 目次 宝来山古墳(宮内庁治定 垂仁天皇陵) 田道間守(たじまもり…
はじめに 富雄丸山古墳でニュースになった #富雄(とみお)の地名。#鳥見(とみ) にも由来すると聞いたことがあり…さて #大きな鳥 は見えるかと富雄川一帯を散策。#ヤタガラス #飛鳥 目次 翔び立つ大鳥の姿 富雄丸山古墳の発見のニュースに触れて 富雄丸山…
はじめに 深江稲荷神社に隣接する #深江郷土資料館。深江の鋳物師(人間国宝)#角谷一圭氏(故人)鋳造品、#深江笠縫保存会 の菅細工、各地の人間国宝級の工芸品が展示されています #大嘗祭 #伊勢神宮式年遷宮 #笠縫の島 目次 深江郷土資料館(大阪市東成区…
はじめに 古代の大和 #笠縫氏。おそらく古墳時代、摂津国・笠縫島(大阪市東成区)に移り住む。子孫は湿潤な地に水路を引きスゲを栽培。江戸期にすげ笠づくりが盛んに 目次 深江稲荷神社(大阪市東成区) 深江稲荷神社 摂社 末社 すげ笠づくりの街 本文 深江…
はじめに 秋分の日の出を見るため #纏向遺跡 に。#穴師山 からの日の出を確認。複数の史跡や伝承から、纏向・穴師山は #土師氏 の祖、相撲の祖 #野見宿祢 が出雲(桜井市)と行き来した古代の道である可能性が高いです。#原始三輪山 目次 纏向遺跡居館跡から…
はじめに 奈良県桜井市穴師(あなし)の奥 #カタヤケシ(地名)の #相撲神社。御祭神は #土師氏 の祖 #野見宿禰(ノミノスクネ)。日本書紀はここで日本史上初の天覧相撲が催されたと伝えます 目次 相撲神社 史上最初の天覧相撲譚(日本書紀・垂仁天皇条)考…
はじめに 纏向の東 #三輪山 北麓の穴師(あなし)に向かう途中。#野見宿禰(ノミノスクネ)と #当麻蹴速(タイマノケハヤ)が史上初めて相撲をとったとされる垂仁天皇 #纒向珠城宮跡。近くに後期の #前方後円墳 3基がならぶ #珠城山古墳群。中央の古墳の墳丘…
はじめに 大神神社の境外社 #檜原神社 の御由緒、#國津神社 の案内ともに #ホケノ山古墳 が #豊鍬入姫 の墳墓という伝承を紹介。#三輪山麓 #纏向 をひとつの大祭祀空間と考えると十分にあり得る話です #同床共殿 #倭姫 #元伊勢の旅 目次 ホケノ山古墳の被葬…