ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

第16代仁徳大王(大鷦鷯、おおさざき)

弥生時代と古墳時代が交差するところ。摂津住吉【住吉大社 正印殿跡(3)】

千五百年にわたり #住吉大社 神主家であった #日本三家のひとつ #津守氏 の居館があったところに #アラハバキ 的な陽石(石棒)と陰石(胎内石)。住吉さんに残る子孫繁栄・五穀豊穣を祈る南北ラインと関係か。#仁徳天皇陵 目次 住吉の南北を繋ぐライン 出雲…

【阿倍王子神社(2)】安部清明神社に残された海人・阿部氏のこん跡

大阪市阿倍野区という地名の起源となった #阿部王子神社。#仁徳天皇 の古墳時代、ヤマト桜井から移住した#阿部氏 の #難波津 拠点でした。境外末社 #安部清明神社 境内には #海人族 としてのこん跡 古代船の錨 #鎮石(孕み石)が残されています 目次 古代の…

【阿倍王子神社(1)】導きのヤタガラスの社【熊野街道】

京都伏見から淀川を下り、天満の八軒家浜に上陸。大阪市内を南北に縦断する #上町台地 を南に下る #熊野街道。遠い紀伊路への休憩と遥拝のために設けられた熊野九十九王子の一社。#阿倍王子神社 前半 目次 熊野街道(大阪市内) 阿倍王子神社 遥か熊野へ。導…

【御幸森天神社】古代河内湖のほとり クニづくりの始まりの地

はじめに 古代河内湖のほとり #猪飼野津 といわれた低湿地に鎮座する #御幸森天神宮。入植した渡来の移民たちはここから広大な河内の国のクニづくりを始めたのかも知れません #仁徳天皇 目次 御幸森天神宮(大阪市生野区桃谷3丁目) 御幸森天神宮 境内 アラ…

【茨田氏】ひょうたんからコマ。ではなく、水の流れに漂うひょうたんの話【秦氏】

はじめに 堤根神社(宮野町)の御由緒 #浮かびのひょうたん(日本書紀・仁徳期)の伝承。水に浮かんだ瓢箪が流れて行きつく先は。頭を整理しながらですが、いろいろ繋がってゆきそうな予感 #秦氏 #茨田氏 #彦八井耳命 #ひょっこりひょうたん島 目次 彦八井耳…

【堤根神社(宮野町)】茨田堤の守り神 御神紋は浮かびのひょうたん

はじめに 大阪府門真(かどま)市に #堤根神社(式内社)が二社、本日紹介するのは宮野町の方。日本書紀・仁徳期 #浮かびのひょうたん 伝承が御由緒 境内に隣接する #茨田堤 の史跡遺構 #門真えびす 目次 堤根神社(宮野町)門真えびす 史跡 茨田堤 浮かびひ…

【転法輪】八方にひろがる あまねく神仏習合のシンボル【雑考回】

はじめに 四天王寺伽藍の中心は #転法輪石。仏法(#聖徳太子)と神道(#太陽祭祀:#推古天皇)が交わるところのシンボル、目に見える#以和貴『和をもって貴しとなす』でしょうか #難波宮 #八角殿 目次 四天王寺の転法輪石【以和貴のシンボル】 四天王寺西大…

【仁徳天皇の治水】茨田堤 難波の堀江【秦氏・考】

はじめに 古墳時代中期の #仁徳天皇期。淀川と大和川から流れ込む大量の水を制御するため全長20キロに及ぶ #茨田堤 の水路を造り #難波の堀江 を開削し広大な大阪平野(河内国)を創出しました。謎の #秦氏の姿も見え隠れします 目次 茨田堤(まんだのつつみ…

【四天王寺から御勝山古墳の謎を追って】仁徳天皇 茨田堤の業績に繋がるこん跡【いばらの社】

はじめに おそらく #御勝山古墳 の遥拝所であったと推理される『いばらの神』。古くは #仁徳天皇 の『的殿、まとどの』という名の宮(御館)があったと伝えられます #日本古代の土木工事 #茨田堤 #古代河内湖 目次 御勝山古墳(被葬者不明、古墳時代中期)前…

難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花【高津神社 梅林は花盛り】

はじめに 大阪 #高津宮(#高津神社)に花盛りの梅を見にゆきました。南からの参道には #梅川 にかかる #梅の橋。そばには #梅乃井 #献梅碑。梅川はその昔、道頓堀の上流だったという説も。#百済 #王仁博士 #梅歌 目次 高津公園 梅林(花の公園) 梅川にかか…

【八幡信仰 誉田別尊の出生地】届きました『新修 宇美町誌』

はじめに 八幡信仰 の御祭神。応神天皇の生誕地とされる福岡県糟屋郡 #宇美町の新町誌。#神功皇后 が #応神天皇 を産んだことから宇美(うみ)の名が付いたと聞きます。太宰府市の北隣という古代史的にも大変興味深いエリアです 目次 第15代応神天皇の生誕…

【誉田八幡宮】(巨大)前方後円墳の拝み方・考★★【応神天皇陵古墳 またの名は恵我藻伏崗陵】

誉田八幡宮 神社と前方後円墳の関係を考えるのに、 誉田八幡宮と応神天皇陵古墳(別名;恵我藻伏崗陵、えがのもふしのおかのみささぎ)にお詣りしました。 誉田八幡宮 鳥居の向こうのこんもりした所が応神天皇陵 ご覧の通り、鳥居-本殿は東向き、本殿脇の参…

四天王寺の七ふしぎ(3)シン四天王寺の七不思議【どこ行った?巨大石棺のフタ】

最近は、地元の上町台地の歴史の記事が多くなりました。 緊急事態宣言で、地元回帰したのもありますが、 もともと当ブログを始めた約一年前を一巡目とすると、二巡目の古代妄想に入っているからです。 庶民的な近づきやすさとともに、四天王寺さんには多くの…

【法隆寺 薬師如来坐像】古代の「天皇」の呼び方【ふくよかな微笑の「裏」に隠された飛鳥・斑鳩の謎 】

ここでは奈良時代より前の話をします。 お気づきになっている方もいるかもしれませんが、最近、当ブログでは、大王(おおきみ)という言葉を使うようになりました。 例えば、第16代仁徳天皇というのをやめて、仁徳大王という風に。 しかし、第40代天武天…

【難波の堀江】歴代大王の四宮(基礎知識)と仏教伝来期【古代上町半島・考】

史跡や伝承は負けないぐらい多いのですが、近畿では、奈良や京都に比べて、大阪・難波の古代史は影が薄いですね。 幾たびも戦闘(戦争・空襲)で荒廃し、秀吉公の時代以降、一環して商(あきない)と都市開発を優先してきた歴史ですから 例えば、難波史の古…

【民のかまど】仁徳天皇が国見した方向は? 西か東か【東高津宮で考える】

先日紹介した産湯稲荷神社の西北の方角(徒歩で約5分)に東高津宮(大阪市天王寺区東高津町4−8)が鎮座しています。 東高津宮 もともと、現在の近鉄上本町駅のところに鎮座していたのですが、駅の拡張工事のため、昭和七年(1932年)、真北に約330メー…

【仁徳天皇・民のかまど】3年間ノータックス 1700年前 日本最古の経済政策【奇しくも詔は3月下旬】

仁徳天皇陵(AC) 日本書記 巻第十一 仁徳天皇四年 民のかまど www.zero-position.com *詔(みことのり) 第16代・仁徳天皇(大鷦鷯天皇、おおささぎのすめらみこと、西暦300年代の約90年間在位)は、難波の高津宮(こうづのみや)で善政を行った…

【幸村公の真田丸そば】グサッと悪縁断ちの寺 鎌八幡 円珠庵【かつての仁徳天皇社跡?】

玉造稲荷神社の南、1キロほど下ったあたりに真田山(さなだやま)がある。 その名の通り、真田幸村が、大坂冬の陣で大阪城南側の弱点を補うために構築した『真田丸』跡があるところだ。 真田丸顕彰碑 後ろが大阪明星学園グラウンド その真田丸跡がグラウン…

高津神社(2) おおらかな人柄と恋愛遍歴が偲ばれる数々の仕掛け 主神・仁徳天皇 高津宮 夏祭り 2019

昨日に続き、高津神社(高津宮)の紹介と仁徳天皇について。 高津神社(大阪市中央区高津1丁目) 仁徳天皇(拝殿の肖像画) 夏の高津さんは緑、桜の頃 仁の風は宇宙を吹きわたり徳は乾きをうるおす。合わせて「仁徳」 狛犬。オスとメス 神社の西側に石段があ…

高津神社(1) 高き屋に昇りて見れば煙立つ「民のかまど」は賑ひにけり 主神・仁徳天皇 高津宮 夏祭り 2019

高津神社(大阪市中央区高津1丁目) 高き屋に昇りて見れば煙立つ「民のかまど」は賑ひにけり 高津神社境内・絵馬堂 高津神社 鳥居 石段 古代上町半島に宮を置いた第16代仁徳天皇を主祭神として、祖父の仲哀天皇、祖母の神功皇后、父上の応神天皇が左座、后の…