ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

筋金入りの万博好き。明治・大正期の遺跡

私は四天王寺さんと通天閣(つうてんかく)、それぞれ近い所に住んでいる。

どちらも歩いて十分かからない。

四天王寺天王寺区通天閣浪速区である。

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だいぶん前の話だが、観光の若者グループに、通天閣の「ろうそくく」にはどう行けばいいですか?と、

家の前で尋ねられたことがあった。

それは「なにわく」と言うのだ。旅の若者たちよ

100メートルのタワーのそばまで来ながら、一向に見えないので心配になったそうだ。

ビルが視界を遮り、今では見えなくなってしまった。

通天閣は戦前が初代、今のが二代目(写真が小さくてすみません)

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初代、通天閣

初代はパリのエッフェル塔を模した

シャンゼリゼ凱旋門もセットになっていて、通天閣界隈を「新世界」と呼ぶのはその名残だ。

それぞれ今は、新世界商店街、商店街の入口ゲートになっている。

想像できまい ( ̄ー ̄)

写真には当時の未来交通、ロープウェイが写っている。

この未来都市は、グーグル地図で「遺構」を確認することができる。

通天閣」で検索し俯瞰してみよ。さすればパリの街並みが偲ばれるてあろう、若者よ。

なぜ人々はここに未来都市を建設しようとしたのか。

第五回内国勧業博覧会(1903、Wiki

規模、参加国数ともに「国際万博」クラスだったそうで、パリをライバル視していたらしい。

そういえば、このたびのEXPO2025では、当初、パリと争っていた。

歴史は繰り返す

ライバルを今こそ助けねば

https://jp.ambafrance.org/article14477

冒頭の未知との遭遇(またはスーパー銭湯の天井)みたいな写真は、通天閣を真下から撮影したもの。

ここ十年ほどの間に復刻した天井画だ。

大阪の老舗化粧品メーカーがスポンサーで大正ロマンの優しい色使い。