今年のゴールデンウィーク、去年に続き、平原(ひらばる)弥生古墳を訪れた。(検索は平原遺跡で)
何度でも訪問したい遺跡だ。
弥生時代の古墳? 古墳文化の始まりの遺跡
日本史では、弥生時代(紀元前1000~西暦250ごろ)と古墳時代(~西暦690ごろ)は分けられるが、そういう「常識」から考えれば、この碑の銘文が意味するところはひとつ。
全国に多数ある古墳の中の「最初のもの」ということを静かに宣言している。
八咫鏡(やたのかがみ)と同じサイズの銅鏡5枚出土
八咫鏡(やたのかがみ)
と同じサイズの直径46.5センチ(重さ約8キロ)、超大型の銅鏡が5枚も出土した。
先日行われた、令和天皇陛下の「剣璽等承継の儀(けんじとうけいしょうのぎ)」で
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
は箱だけでも映像に映っていたが、八咫鏡がなかったのは、伊勢の内宮から門外不出だからだ。
天皇陛下や神宮の宮司さんはいざ知らず、国民の誰も見たことがないし、またこれからも見ることは叶わないであろう謎の神器だ。
ゆえにユダヤ文字が刻まれているといった都市伝説が流れるのは仕方がないことである。
太陽をデザインした大鏡
平原遺跡の近く(車で約5分)の伊都国歴史博物館にはレプリカが、
国立九州博物館には実物が、それぞれ展示されている。
去年、伊都国歴史博物館を訪れた時に精密なレプリカの方を拝見した。
一見、花の模様に見えるので花文鏡という妙な名になってしまったが、日光または太陽紋鏡である。
平原が貴重であるもうひとつの理由は
埋葬されていたのが女性(ヒメ)であること
女性しか使わないピアスの他、勾玉、ガラス製の管玉などのアクセサリーが多数出土しているのが証拠。
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ここまでは古代好きなら、たいてい知っている話。
反対に、歴史好きな人でも古代(特に西暦300年以前)に興味がなければ、知らないかも知れない。
残念ながら、日本人のほとんどは知らないだろう。学校でも教えないから。
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ただ「古代のヒメと大鏡」ときいてピンとくる人は多いと思う。
ヤマタイコクのヒミコ?
焦っちゃいけません。答えは簡単ではない。
しかし自分の郷土と平原弥生古墳をベースにその謎解きに人生をかけた考古学者がいた。
原田大六(だいろく)さん
伊都国の成立と歴史的役割とともに、大鏡とヒメの謎に挑んだ人。
「徹人」という表現が合うかも知れない。
その人となり、業績、考察法を通して、文献資料のない古代への対し方みたいなものを、少しでも伝えられたらと思う。
「物部さん考」と同じく、連番で時々(不定期で)書いてゆきたいと思う。