飛鳥の盆地の西、標高130メートルの岩船山の頂上付近に巨大な石造物がある。
益田の岩船。長辺11メートル、短辺8メートル、高さ4.7メートルの巨大石造物。
飛鳥の石造物の中でも最大のもので、何の目的で、何のために、そこに置かれたのか? 他の石造物と同じく謎だ。
7世紀(西暦600年代)作であることは間違いない。
誰がなぜ造り置いたのか?
先日紹介した斉明女帝は酒舟石遺跡=岡本宮、両槻宮(ふたつきのみや)・・・飛鳥東側の「岡」を拠点にしていたが、推古女帝は西側の豊浦宮(甘樫丘の麓)を拠点にしていた。
須弥山石(しゅみせんせき)は推古女帝の時代に造られ、斉明女帝の時代、迎賓館に置かれたとされる。
雑な推定だが、推古女帝の時代に造られ置かれたものだと思う。摂政・聖徳太子の仕事のパートナーというイメージとはずいぶん違う。知名度のわりに、業績が不明な女帝だ。
とりあえず、ぐるりとご覧ください。
朝早く誰も来ない。45度ぐらいのやわらかなフォルムの斜面にもたれかかってみた。
もたれかかって正面を見たときの視界。
見上げると・・・。
小鳥のさえずりを聞いているうちに眠くなってしまった。
お母さんから生まれてきて最初に見る景色はこういうものかなぁと、ポッカリあいた空を見ながら、ぼんやり考えていた。
この角度とフォルムの居心地のよさ。まるで石とは思えない。
謎解きは「まぁいいや」となってしまった。
ひとつ。この巨岩、飛鳥にはない花崗岩だ。
はるばる飛鳥まで、六甲山系から海と川を運ばれてきたようだ。