種貸社をお参りしてから、住吉さんの外に出た。
住吉さんの「奥」を探している私の次の目的地は、生根神社(いくねじんじゃ、いねじんじゃ?)(式内大社)
生根神社と住吉大社は目と鼻の先・300メートル「北」に位置する。住吉さんから生根神社。生根神社から住吉さん。
奥の天満宮・奥の天神さん、と呼ばれている
御祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)
創建不詳。少彦名命は造酒の祖神、神功皇后はここで酒を造り住吉三神に献じた。豊臣時代は淀君の崇敬社。
少彦名命は「沖の天津神」とも云われている(略記中)
見落としてしまいそうだが、この内容は重要な「ほのめかし」だと思う。
拝殿と本殿。本殿は東側から。住吉造とは違う「たて削ぎ」の出雲風(建築様式は説明板に記載されている)
住吉さんの種貸社だけでは難しかったが、生根神社とセットで考えて、宗像三女神、つまり、ここが「タゴリヒメの奥津」であることのこん跡を3つ見つけることができた。
ひとつめ。南北方向の位置的に、住吉さんの「奥・沖」であること
前回書いたように「奥」と「沖」は同義、つまり、宗像(ムナカタ)的な様式(辺津-中津-沖津・奥津)を意識してこの神社が創建されたことを示唆している。
西の鳥居のそばで植木の水やりをしていた婦人にお聞きしたところ、地元では生根神社は住吉さんと同じ感覚で、実際に神職さんの行き来も多いということだった。
生根神社は「奥の天満宮」と呼ばれているが、住吉さんの「奥」にあることから、そう呼ばれている。
ふたつめ。少彦名命は、種貸社(住吉大社)のキャラクター・一寸法師のモデル
古事記では少名毘古那は大国主の国造りのパートナーとして書かれているが、その最初の登場シーン。
「天乃羅摩船(アメノカガミノフネ=ガガイモの実)に乗り、鵝(ヒムシ=ガ)の皮の着物を着て波の彼方より来訪し・・・(Wikiより)」
大国主と正反対な名から「たいへん小さな身体のわんぱくな者」とされており、一寸法師のイメージそのもの。
波の彼方、つまり天津神々のいる方角から現れたことから「沖の天津神」と云われたのだろう。
みっつめ。生根神社境内(最奥=北、本殿裏)に種貸神社がある
神明立穴石(末に写真)とセットで「子孫繁栄」を願い祈る神社はもともと、こちらであったように思う。
種貸神社が住吉大社・種貸社の元社と考える。
タゴリヒメの名を示唆するようなこん跡はみつからなかった
公平を期して成果が無かったことも書いておく。
*****以下、境内の紹介
境内北側には西から、天満宮(奥の天神さん)、龍王社、塞神社、種貸神社、稲荷社の小社が並んでいる。
不思議な形の霊石「神明穴立石」。何首鳥と書かれている。何首鳥は「カシュウ」、ツルドクダミの薬草。手元の生薬本には、強壮・補血・解毒・緩下に用いると書かれている。育毛剤にも利用されるそうだ。霊石として置かれている意味やシンボリックな形象を考えると「子孫繁栄。男性の強壮、女性の補血」だろう。ただし、何首鳥の生薬利用は江戸期以降。
古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE