先日、 下鴨神社の大炊殿(おおいどの)に磐座(いわくら)があることを紹介した。
創建当初からあったのかどうかはわからないが、本殿神域のすぐ西隣にあることから、大炊殿は下鴨神社の「奥」と考えてよいだろう。
「奥さま」の語源
「奥」とは「奥津の磐座」があるところであり「奥津宮」とも呼ばれる(出雲・宗像式)
大炊殿を「奥津」と考える根拠はもうひとつ、現在のガスコンロ、「竈神(かまどのかみ)」の信仰。
下鴨・河合神社・六社の中に竈神。奥津日子神(男性)と奥津比売神(女神)。
下は大炊殿の竈
竈神として、奥津の女神と夫(あるいは息子と娘)が祀られているのは、竈が「奥津」にあるからだ。
古来、神撰(神様の食事)をつくり奉仕するのは、たいへん位の高い姫巫女の神聖な務めで、例えば、日本初の女帝・推古天皇の「おくり名」は豊御食炊屋姫(とよみけみかしきやひめ)。
伊勢神宮・外宮の豊受大神の「豊受」は「豊御食」と同じ意味だろう。
下鴨の斎王は未婚の皇族の姫、内親王から指名された。
前に神様レシピを紹介したが、海の幸山の幸を集め、それぞれ食材に加工し、手順通り調理して供するという日々の仕事は、今では想像できない程の時間と労力をかけた組織的な労働で、その総責任者であった姫巫女は、まさに「奥さま」だった。
後ろの正面だぁれ?(1) おいどの奥さま仮説
総責任者を水の神(末刀社)・竈神が助け、火と火避けの神様(出雲井於神社(比良木社)スサノオ、大黒さま)が守る。
水は料理に欠かせない。火は時に暴れる。水は火を鎮める
奥さまはオーケストラの指揮者の如く、居なければたちまち組織はまわらなくなる。
このイメージは今に繋がる。お母さんも含め、奥さまは「家という社」の真ん中にいる。そしてご先祖さんに水やお供え物をし手を合わせる。
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古代、下鴨神社の本殿は「浦の廻廊(うらのかいろう)」に取り囲まれ、四方から本殿を拝める構造(四方拝、御輿と同じ)になっていたそうだが、今は本殿の「ウラ」後ろの正面から御神体を拝む形だけ残されている。
北の「奥」から、南面して御神体を拝むなんて経験は他ではできない。大炊殿を見学の時はぜひ!
御神体からみれば、後ろの正面は大炊殿「おいど」の方向になる。
「おいど」は京ことば。「おしり」のこと
見学の時に「おおいどの」とボランティアガイドさんが言うたびに、空耳でニヤニヤしていて申し訳ない。ごめん
井上八千代さんが「都をどり」の指導で「おいどをきっちりしめて舞いなはれ。みっともない!」とピシャリ言ってらっしゃるのを番組で観たことがあるが、
その大切な「おいど」だ。
日々、神様の「おいど」に、つまり「後ろの正面」に立つことができるのは、神様に奉仕し、身の回りの世話をする「大炊殿の奥さま」だった。
「後の正面だぁれ」は(2)御蔭様、に続きます。
古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE