ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

下鴨神社(6)賀茂御祖神社・ 後ろの正面だぁれ(1)御蔭様。まずは御蔭神社に参る★★

古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE

前回の続き。

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浦の廻廊の説明板

葵の庭で かなり謎な 説明板を読み、御蔭祭・御蔭神社に引き寄せられた(文字起しは記事末)

浦・ウラは「奥深い」「カゲ」を意味する。古代(無文字時代)の人々は奥の神様を「ウラ」と呼んだ。浦島太郎の「浦」はあて字。奥の神様への参道という意味。

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浦の廻廊

解説:御蔭祭(みかげまつり)の御生神事(みあれしんじ)

御蔭祭 とは、葵祭に先立つ五月十二日、御祭神の荒御魂(あらみたま)を、始まりの降臨地 御蔭山(御蔭神社) から下鴨神社へお迎えする祭で、中でも重要な 御生神事 が行なわれる。

※御祭神(二柱)は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、玉依媛命(たまよりひめのみこと)

※御生(みあれ)されたばかりの御神霊を「荒御魂」という(記事末、境内の説明板)

● 十二日、神馬を飾り神鈴を付け、鉾・太刀・弓・槍などの神宝を捧げ持ち本宮を出発した行列が御蔭神社(みかげじんじゃ)に到着

● 午(うま)の刻、榊の枝に憑依した荒御魂が神馬に遷り

● 路次祭(賀茂波爾(かもには)神社)

● 切芝神事(糺の森)を経て

● 本宮に遷宮し、葵祭(五月十五日)が行なわれる

御蔭神社への行き方(八瀬は桜と紅葉のスポット)

下鴨神社からだと叡山電鉄出町柳」で乗車、終点の「八瀬比叡山口」で下車。徒歩15分ぐらい。

御神体山・御蔭山の中腹にある

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御蔭神社(摂社)伝・社殿創建677年(天武天皇二年)

八瀬のせせらぎを眺めながら瑠璃光院(13番)を過ぎると、案内碑がある所にたどり着く。

結局、ここから先の往復約1時間、誰にも会わなかった。

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碑は案内図「現在地」

いよいよ御蔭山に入る。参道から見上げる斜面に大小の岩が転がっていた。

鳥居横の説明板に(旧社は)現本殿の北東の麓にあったが地震等により埋没したとあり、どうも斜面のあたりが祭祀場跡、岩は磐座と思われる。

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御蔭山は太古に「鴨の大神」が降臨されたということから「御生山(みあれやま)」とも言うそうだ。

後ろの正面だぁれ?(2) 御陰様 仮説(以下、妄想★★)

ここであれ? と思った。

鴨の大神と下鴨神社・御祭神二柱は違うんじゃないかと。

始まりの鴨の大神は「山」に降臨したのであって「社殿」ではない。

社殿(御蔭神社)は677年(奈良時代)伝創建だから、太古のものではない。

つまり社殿は二柱を表向きの御祭神とし、先ほど見た斜面の磐座に「鴨の大神」が祀られていたと考えた。だから荒御魂と、わざわざ区別するように呼んでいるのだ。

すなわち「御生されたばかりの御神霊」を「出雲族の始まりの神霊」と読むこともできる。

出雲では神を「かもぅ」と発音し「鴨」の字を当て、その大神とは、古代山背(やましろ)北部をテリトリーとしていた出雲族の「先祖神」のこと。

そしてこの先祖神が 御蔭様 だ。

冒頭の謎の説明板で解釈するなら「ウラの神様、奥にいる神様」。

まさに裏の御祭神だ。

御蔭様なら下鴨神社本殿の「後ろの正面」に立ってもおかしくない。

この稿の続きは来週後半(3)御蔭様の正体

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御蔭神社 森の中

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御蔭神社 鳥居横

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御蔭神社 社殿

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御蔭神社 東西二棟の本殿 1834年再建

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御陰神社 境内 説明板

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浦の廻廊について(文字起し)

浦・ウラとは「奥深い」とか、御蔭祭(みかげまつり)の「カゲ」など、無文字時代の言葉です。

古い時代の人々は、神さんのことを尊んでそのように言い表しました。「浦」はあて字です。浦島太郎などもその一つです。奥の神さんへお参りする参道、という意味です。

先年、この付近の発掘調査の結果、古墳時代の御稲(みしね)倉跡が出土しました。稲も神々がやどられる依代(よりしろ)の信仰があります。また水分神(みくりまのかみ)をお祀りする氷室(ひむろ)がありました。当神社の氷室は、糺の森わき水を凍らせて年中祭事に御供しました。

古くから、四方拝と称して御本宮を四方から拝禮するために渡る廻廊でしたが、戦時中、戦災防火のため撤去したのを、この程、第三十四回式年遷宮事業の一環として復旧が実現しました。

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