弥生のムラの宝石箱(褐鉄鉱、かってっこう)と宝石(勾玉、まがたま)。右側の土器片を蓋にして勾玉がおさめられていた
唐古・鍵遺跡は、2200年前の遺跡とされており、日本古代の中でも特に謎の多い時代の貴重な遺跡だ。
それ以前は古代大和湖の湿地帯または水中で、人は住むのは難しかっただろう。
ヤマタイコク・ヤマト説の中心「巻向(まきむく)桜井市」の北側近くにあるゆえ、史跡価値は一級品にもかかわらず(比較すると)注目度が低いように思う。
がんばれ!田原本町 ∩(´∀`)∩
古代の宝石箱と宝石
唐古・鍵遺跡を紹介しようと考えた理由はいくつもあるが、そのひとつが今日のテーマ。
唐古・鍵遺跡史跡公園に行ったなら足を延ばしてほしいのが、唐古・鍵考古学ミュージアム(リンク先記事末に行き方)
こじんまりしているが充実した展示物の中で目を引くのが、2200年前、弥生時代の「古代の宝石箱」と宝石の輝き。
宝石箱は、中が空洞、自然の超貴重な褐鉄鉱(かってっこう)
宝石は、現在でも最高級グレードのヒスイの勾玉(まがたま)
特に勾玉の美しい「グリーン」と「ホワイト」の輝きをミュージアムで間近に見ることができる。しかも無料だ。
宝石箱の方は、長年の土中の圧力でひしゃげているが、球形をしていたのだろう。
唐古・鍵遺跡の中心に重要な祭祀が行われた大型建築物群の跡があるが、その中の区画の溝に埋納されていたそうだ。
つまり、宝石箱と宝石のセットは、当時としても最高レベルに貴重な「神様への捧げもの」で、その意味を読むことは、弥生・古代ヤマトの時代に、
● ここに住んでいた人がどういう人たちで
● 何を祈っていたのか、を考える重要な手掛かりになる。
褐鉄鉱とは?(高師小僧、鬼板)
Wikiに書かれているので、詳しいことは割愛するが、要するに、
湿地帯・水辺の葦などの根茎に生息するバクテリアが水中の鉄分(Fe、水酸化鉄)を取り込んで濃縮、数万年以上かけて堆積したもの
水辺の古代人は、広大な葦原の土中(泥中)から掘り出して、染料(ベンガラ)や初期の古代製鉄に利用したと考えられる。(製鉄は低温溶融で、低純度のため品質はよくなかった)
● 板状になったものは「鬼板、おにいた」(水底堆積で形成)
● 筒状になったものは「高師小僧、たかしこぞう」(根茎周囲で形成)
● 中でも、内部の粘度を取り除くと空洞になるものは珍しかった(根茎包摂で形成、中の根茎は粘土化)
● 特に、内部の粘度が自然乾燥で収縮し、振ると音の鳴る土鈴(どれい)で出土するものは「御神体」クラスで珍重されたものと思われる
古代ではどのように言っていたかは知らないが、少なくとも江戸期には「鈴石」「鳴石」と呼ばれていた。
つまり、鈴・鳴(すず・なり)
ここまでの話の上で、あらためて、住吉大社・種貸社のご祭壇に飾られている御神鏡の造形をみていただきたい。ついでに神楽の鈴も。
葦原中津国(あしはらのなかつくに)、茅の輪(葦で編まれる)、足玉(十種神宝)など、古代より、葦や葦の湿原は神聖視されてきた。
写真は神楽鈴(高津神社夏祭り)と住吉大社・種貸社・鈴生りの御神鏡。
種貸社の御神鏡は新しいものだが、こういった形象・イメージは、少なくとも、種貸社創建以来のものだろう。
次回「古代の宝石」勾玉の話(次回は★★ぐらい)
そして勾玉もあわせて考えることで、誰が、何を祈っていたのかを考える手掛かりになると思う。
もしかすると「日本古代史のパンドラの箱」を開くことになるかも知れない 笑
そう考えると唐古・鍵遺跡の「宝石箱と宝石」は 国宝級 だ。
古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE