勾玉(まがたま)。縄文の宝石は出雲文化に引き継がれた
勾玉は「縄文の宝石」とも云われる。
新潟県産の翡翠(ヒスイ)を加工したものが、北海道を含む全国の遺跡から出土する。
たいへん硬い鉱物を苦労して加工するのは、その鮮やかな緑色に理由があったのだろう。
日本の四季の始まり、新芽と若葉で彩られた春の山河は鮮やかな緑色。新緑の森の中から新しい命が生まれ、豊穣と繁栄がもたらされる。その喜びが永遠に続く願いを勾玉の緑に込めたと云われている。
面白いのはその形。数字の「6」あるいは「9」の「○」の中に、小さな目のような孔が通される。
諸説あるが「胎児」だと考える。生物はすべてあの形から始まる。縄文の人々は動物や魚を食べていたからよく知っていたはず。
新緑と胎児のカタチ、海と山、動物と植物・・・「すべての生命の始まりのシンボル」は出雲文化に引き継がれた(玉造、花仙山、瑪瑙、メノウ)
出雲族は、海・山の縄文の人々と習合しながら拡がり、列島各地で古代のクニ造りを進めたが、その平和的融合のシンボルのひとつが勾玉だと考えている。
*****
さて、唐古・鍵遺跡の宝石箱。
前回書いたように、箱(中空の褐鉄鉱)は「鈴なり」に通じる。
さらに以前に書いたが「鈴なり」は物部氏の祭祀のシンボル(一方、軍事のシンボルは「矢」)
古代(弥生)の宝石箱が物語るもの ★★
金属鈴が造られる前、つまり、自然の褐鉄鉱の中から良品を厳選した「土鈴」の時代の話として。
「出雲・縄文」と「物部氏」のシンボルがひとつの「カタチ」になった
それぞれの至宝を持ち寄って、神聖な祭祀場、ひとつ所に埋納したのだ。
その意味することは?そして何を祈ったのか?
古代の大和湖畔、葦(アシ)の原が眼前に広がる唐古・鍵で、日本古代史における大きな転換点があった気がする。
出雲のクニビキと物部のクニウミがクロスした場所。
もし史実ならば、ヤマトでクニが生まれた「経緯と理由」を考えるための貴重な物証になる。ゆえに、宝石箱はプライスレス「国宝級」だ。
少なくとも、このような「カタチ」での出土例は、私が知る限り、他にない。
芽生の御神鏡(住吉大社・種貸社)
さて、前回紹介した住吉大社・種貸社の「鈴生りの御神鏡」の隣には、もうひとつの御神鏡が置かれている。
出雲(いずも)は早春の芽吹きを表現する「生(出)ず芽(イズメ)」を語源とする説がある。
後の時代に「出雲」と書かれるようになり今に至ったという。
そして「雲」は森や海を生活圏としてあまねく存在する「縄文時代からの人々」のこと表す表現とも云われる。
このあたりは、日本最古・スサノオの和歌でも推理可能だ。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を(古事記)
やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを
そう言えば、唐古・鍵の環壕集落ジオラマは「八重」で再現されていた 笑
続く。
唐古・鍵考古学ミュージアム(宝石箱と宝石の展示)
遺跡史跡公園から南約2キロにある「田原本青垣生涯学習センター」2階(田原本町立図書館も併設。たわらもと)
ナビで住所または施設入力する場合:奈良県磯城郡田原本町阪手233-1、田原本青垣生涯学習センター
入場無料
古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE