古代クニ造りの最先端モデル
唐古・鍵の五回目。前回はコチラ
唐古・鍵遺跡は、日本最初の神社形式が備えられた古代クニ造りの最先端モデルだった。
古代大和湖畔の葦原(湿地帯)に向かって傾斜する微高地に、初瀬川から水路を引いた灌漑水田と、その水路で何重もの環壕と、中心と周囲のある「区画」を造った。
祭祀、住環境、農・工業をすべて備えた最先端の都市だ。
農閑期は職能集団、部民(べみん)制への伏線
工業に関しては触れてこなかったが、銅鐸(どうたく)、勾玉・管玉造りの工房、農工具・建材の木工場、石器・土器造りの作業場もあった。
宝石箱・二つの勾玉の意味
さて、宝石箱に話を戻す。
褐鉄鉱の入れ物は物部の宝。勾玉は出雲・縄文の宝。
勾玉二つの理由を考えた。ひとつが出雲、ひとつが縄文かも知れない。
ひとつは女性、もうひとつが男性と考えることもできる。
子孫繁栄と豊穣祈願であるならば「男と女」とする方が自然だ。
であるなら、モデルがいる。
このブログを始めた頃(2019年4月)から読んでいただいている方はご存知と思うが、私の古代妄想は、物部氏の「十種神宝(とくさのかむだから)」から始まった。
生玉(いくたま)と足玉(たるたま)
物部氏の十種類の神宝。うちふたつ。生玉と足玉。
イザナキとイザナミのモデル、忘れられた男女一対の神々、生島大神と足島大神。
今、目の前にあるのが、そうではないかと疑っているが、今のところ確かめる術はない。
古代から変わらない輝きに、ただただ、ため息。