先日の四天王寺さんのお彼岸のにぎわいの記事で、まじょまじょさん(id:eikoobasan)から「日想観」について、ご質問いただいた。
富士山の美しい姿を届けてくれる方で、ブログ更新を楽しみにしている人のひとりだ。
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秋分の日(9月23日)は、四天王寺さんの石鳥居に夕陽が落ちる日で「日想観」が催されるため、久しぶり見学に参った。
私は「にっそうかん」と読んでいたが、四天王寺さんでは「じっそうかん」と云うのを知った(まぁどちらでも良いか)
四天王寺・西門、お寺の鳥居
石鳥居の扁額に書かれているのは、
釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心
(大意)お釈迦様が仏法を説く(転法輪)ところ。(この石鳥居は)極楽への入り口、すなわち(現世の)東の門の中心にあたる
鳥居の向こうに見える道(坂)は「逢坂(おおさか)」。聖徳太子が創建したころ(593年)は、そこまで海が来ていた。
・・・なお、鳥居よりも西側(坂の下)に住んでいるので、私たち家族を含む西日本の方々は「あの世」の人ということになる 笑
平安時代、藤原家隆
新古今和歌集の選者の一人、藤原家隆(ふじわらのいえたか)は、晩年、四天王寺さんの近くの夕陽が美しい海が近い丘に「夕陽庵(せきようあん)」を結び、詩を詠んだ。
契りあれば 難波の里に宿りきて 波の入日を 拝みつるかな
「夕陽丘、ゆうひがおか」の名の起源だ。
平安~鎌倉時代、宗派誕生の時代
平安末期から鎌倉時代にかけて、空海(弘法大師、真言宗)、最澄(天台宗)、親鸞(浄土真宗)、一遍(時宗)などが四天王寺で修業したことが知られている。もちろん、修法の中心は「日想観」であったろう。
法然(浄土宗)は、地図にも見える近くの一心寺で「日想観」を修養したことが知られている。
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さて、先ほどのご質問。「仏事ですか?」
なかなか「突いて」いる。・・・以下はあくまでも私見ということでご容赦。
文字が残されてからの日本史では、仏教の浸透とともに主要な修法となり、鎌倉仏教を勃興させた意味で、日想観は仏教(西方極楽浄土の思想)とのかかわりは強い。
ただ、沈みゆく夕陽に瞑想することは、もっとプリミティブ(根元的、原始的)なことだと思う。
夕陽が美しい場所に立てば、時代・文化・民族を超えて、人(類)は誰でも敬虔な気持ちになるはずだ。
神も仏もいる国
神でも仏でも、それぞれが信ずるがままに。
四天王寺さんでは「お寺の石鳥居」がその証拠かも知れない。
仏事とも神事ともいえるので「催し」と云った方がよいと考えて、看板をもう一度見たら「法要」とか「仏事」の文字は書かれていなかった。
古代、聖徳太子(厩戸皇子)が広めようとした思想とはそういうものかなと、あらためて思った。
以和貴(和を以て貴と為す)
四天王寺では、太子さんはお大師さんと重なるが、そもそも厩戸皇子(厩戸王)という名は「救世主」にもかさなる。
聖徳太子の時代、四天王寺から飛鳥京までは、最果て(極東)のシルクロード。
海外からやって来て、都に向かう起点になったのが四天王寺であったことはあまり知られていないが、旧約聖書、新約聖書、コーランが、国際交流とともに伝播していても不思議ではない。
新約聖書で、キリスト生誕の場所は厩(うまや)と書かれている。