前回の続き。
縄文から弥生へ移行する時代で、北東北・南北海道エリアが気になる。
おそらく三内丸山(紀元前2000~3000年)の縄文文化を引き継ぎ、紀元前1000年以降も、持続して高度な文化があったと思う。
「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録への動きを契機に、地域の考古学の発展を通して、新しい視点から日本の成立史が明らかになることを期待している。
地域は違うが、縄文中期の遺跡で発掘された女性(妊婦)を表現したとされる2つの土偶。
(左)「縄文のヴィーナス」の愛称で有名な棚畑遺跡(長野県茅野市)から発掘(1986年)された国宝の土偶は、茅野市尖石(とがりいし)縄文考古館に展示されている
(右)鋳物師屋(いもじや)遺跡(山梨県南アルプス市)で発掘(1986年)された円錐形土偶は「子宝の女神・ラヴィ」の愛称で、南アルプス市ふるさと文化伝承館に展示されている(重要文化財)
ここで、三内丸山遺跡の「大型板状土偶」も見ておこう(写真:情報処理推進機構・教育用画像素材集より)
中空土偶ではないが、縄文のヴィーナスやラヴィと同じ縄文中期のもの。胸の突起の強調から、同じように女性、母なる神と考えられる。腕の表現は縄文のヴィーナスに似ている。
地母神、「母なる神」のイメージ
地母神とは「肥沃」「豊穣」「多産」とされるが、おそらくもっとも日常的には「安産」「子育て」の祈りをシンボライズしたものだと思う。
古代、出産は大きなリスクで、母子ともに健康な「安産」は切実な祈りだったはずだ。
また子どもを病気や怪我でなくさないように、日々祈っていただろう。
世界共通で(平和な)母系制の時代・地域の信仰で、女性の守り神、女神として形象化される。Wikiが詳しい。
地母神とすれば・・・遮光器土偶が示唆すること
遮光器土偶は、先の三つの土偶よりも2000年以上後のもので、時空を越えた「点」をつなぐ「線」は今のところないので、考古学的な結論は下せないが、いずれも「地母神」と考える方向は、おおよそ一致しているようだ。
出土例数が多く(約2000体)、前回記事で紹介した大谷地貝塚の「土偶」も遮光器土偶の仲間と考えると、
ビーナスやラヴィの時代(5000年前)には集落単位にとどまっていたが、遮光器土偶の時代(2500年~3000年前)には、
北東北から南北海道に及ぶ、地域文化圏が広がっていたことを示唆する
わかりやすく言えば「シャコちゃん教」をベースとした文化圏が、この時代、ちょうど北海道・北東北の縄文遺跡群の地図と重なる地域に、興ったということ。それがクニと言えるものかどうかはわからない。
ただ、その歴史は今のところ、忘れられている、ということ。
このような「大きな地域文化圏」は、同時期(紀元前500年前後)の列島で、ほかに見当たらない。
記紀の影響で、日本は「西(南)から」始まった一般的なイメージが強いが、
数多くの縄文晩期(新しい古代史画期では弥生早期~中期)の遺跡と豊かな精神世界を表現する出土物を考えると、
この国は「北から」始まったのではないか
という考えが頭にある。この地域に惹かれる理由のひとつだ。
北海道・北東北の縄文遺跡群
北海道・北東北の縄文遺跡群は、北海道、青森、岩手、秋田の4道県・18遺跡エリアで構成される。