ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

日本の謎の古代史(9)太陽の塔に刻まれた岡本太郎のダヴィンチコード 遮光器土偶 スリット目の意味を考える

前回からの続き。

万博「エキスポ70」、1970年、中学生だった自分は未来都市に夢中になり、何度も足を運んだ。中でも、太陽の塔が大好き。同じ時代を過ごした世代にはそういう人が多い。で、次のような記事を書いた。

www.zero-position.com

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見慣れたデザインだったが「夜の顔」があるのを知らなかった。昼とは表情が一変する。

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太陽の塔 昼の顔 夜の顔

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夜、見上げた時、おなかの顔の目が閉じている。もちろん角度と光で、閉じたように、あるいは、薄目を開けたように見えるだけなのだが、

その変化する効果を狙って、目の中に浅いスリット状の横溝が刻まれている。

昼間の開いた目、しかも遠目では、溝に気づかない。

太陽の塔のおなかの顔は、母胎から誕生しようとする「目を閉じた新生児の顔」そして「目を開いた(成長する)子どもの顔」、少なくともふたつ以上の意味があるのだと理解した。

太郎さんの壮大な仕掛け、タイムカプセルに載って、縄文の祭祀・信仰を目の当たりにしたような、畏怖と敬虔が混ざった、特別な気持ちになった。

太郎さんの「芸術は呪術である。」という言葉。古代の芸術表現は、まさにその通りだと思う(夜の記事)

「じゅじゅつ」とは私たちが思うような「おどろおどろしい」ものではない、もっと普遍的な、

文字の無い時代の、流れるような意識や感情の表現

とでも言えばよいのか。現代人がそれを「芸術」と呼んでいるもの。

たしかにそういう「効率的な」伝達手段があれば、文字は要らないのかも知れない。

分かりやすく言えば「ハートの形で愛を伝える」ようなもの。文字と違うのは、発信する側、受けとる側の精度が厳密でないこと。

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新生児からの成長?

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昼の記事でも書いている通り、太郎さんは、博物館の片隅に展示されていた火焔土器を一目見て、その「根源からわき上がる生々しい情念の表現」の虜になった。

その強烈な体験が、エキスポ70で、全長70メートルの巨大縄文土偶太陽の塔を創造する動機になった。

1970年当時、発掘されていたのは「遮光器土偶」だけ(縄文のヴィーナスやラヴィは1980年代発掘)

その不思議な表情を「母なる」太陽の塔のおなかに、自身の解釈、「いのちの目覚め」の顔として埋め込んだ。

太郎さんは、民俗学に造詣が深い芸術家※として、遮光器土偶という「母なる神」に「胎児」の顔を観て、表現しようとしたのだろう。

遮光器土偶のスリット状に閉じたように見える目は、観察する条件、あるいは、観る者の心身の状態によって、閉じたり、開いたりするのかも知れない。いずれにしろ、意味するところは「いのちの誕生と目覚め」だ。

ただし、これも一解釈に過ぎない。スリット目に何を見るかは人それぞれだと思う。

※フランス留学中、コレージュ・ド・フランス社会学講座で、マルセル・モースの下、民俗学民族学)を学んだ。当時の世界ではトップクラスの講座だ。これが縁(契機)で、万博記念公園内、太陽の塔の近くに、国立民族学博物館が設立された。

※太郎さんはエスノロジー民族学)よりもフォークロア民俗学)に関心があったと言われている。日本では柳田國男折口信夫がひらいた領域だ

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北海道・北東北の縄文遺跡群

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北海道・北東北の縄文遺跡群は、北海道、青森、岩手、秋田の4道県・18遺跡エリアで構成される。

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