前回からの続き。
万博「エキスポ70」、1970年、中学生だった自分は未来都市に夢中になり、何度も足を運んだ。中でも、太陽の塔が大好き。同じ時代を過ごした世代にはそういう人が多い。で、次のような記事を書いた。
見慣れたデザインだったが「夜の顔」があるのを知らなかった。昼とは表情が一変する。
夜、見上げた時、おなかの顔の目が閉じている。もちろん角度と光で、閉じたように、あるいは、薄目を開けたように見えるだけなのだが、
その変化する効果を狙って、目の中に浅いスリット状の横溝が刻まれている。
昼間の開いた目、しかも遠目では、溝に気づかない。
太陽の塔のおなかの顔は、母胎から誕生しようとする「目を閉じた新生児の顔」そして「目を開いた(成長する)子どもの顔」、少なくともふたつ以上の意味があるのだと理解した。
太郎さんの壮大な仕掛け、タイムカプセルに載って、縄文の祭祀・信仰を目の当たりにしたような、畏怖と敬虔が混ざった、特別な気持ちになった。
太郎さんの「芸術は呪術である。」という言葉。古代の芸術表現は、まさにその通りだと思う(夜の記事)
「じゅじゅつ」とは私たちが思うような「おどろおどろしい」ものではない、もっと普遍的な、
文字の無い時代の、流れるような意識や感情の表現
とでも言えばよいのか。現代人がそれを「芸術」と呼んでいるもの。
たしかにそういう「効率的な」伝達手段があれば、文字は要らないのかも知れない。
分かりやすく言えば「ハートの形で愛を伝える」ようなもの。文字と違うのは、発信する側、受けとる側の精度が厳密でないこと。
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昼の記事でも書いている通り、太郎さんは、博物館の片隅に展示されていた火焔土器を一目見て、その「根源からわき上がる生々しい情念の表現」の虜になった。
その強烈な体験が、エキスポ70で、全長70メートルの巨大縄文土偶・太陽の塔を創造する動機になった。
1970年当時、発掘されていたのは「遮光器土偶」だけ(縄文のヴィーナスやラヴィは1980年代発掘)
その不思議な表情を「母なる」太陽の塔のおなかに、自身の解釈、「いのちの目覚め」の顔として埋め込んだ。
太郎さんは、民俗学に造詣が深い芸術家※として、遮光器土偶という「母なる神」に「胎児」の顔を観て、表現しようとしたのだろう。
遮光器土偶のスリット状に閉じたように見える目は、観察する条件、あるいは、観る者の心身の状態によって、閉じたり、開いたりするのかも知れない。いずれにしろ、意味するところは「いのちの誕生と目覚め」だ。
ただし、これも一解釈に過ぎない。スリット目に何を見るかは人それぞれだと思う。
※フランス留学中、コレージュ・ド・フランス社会学講座で、マルセル・モースの下、民俗学(民族学)を学んだ。当時の世界ではトップクラスの講座だ。これが縁(契機)で、万博記念公園内、太陽の塔の近くに、国立民族学博物館が設立された。
※太郎さんはエスノロジー(民族学)よりもフォークロア(民俗学)に関心があったと言われている。日本では柳田國男、折口信夫がひらいた領域だ
北海道・北東北の縄文遺跡群
北海道・北東北の縄文遺跡群は、北海道、青森、岩手、秋田の4道県・18遺跡エリアで構成される。