日本の古代史を考える時、いくつかのポイントがあるが、そのひとつが「水の祭祀」と「治水」だ。
為政者(王権)は水をコントロールできる者でなければならない。
古代には「祭祀・祈り」であったが、歴史が進むとともに「治水」に変わって行く。
日本で、その転換点となったのが大阪狭山市の狭山池(さやまいけ)
日本最古のため池、しかも調整池。
つまり渇水時には水を供給し、増水時には水を貯めて氾濫を防ぐ「ダム式」だ。
なぜ最古と言えるかというと、池底から出土した木製樋管の年輪測定で、推古期に切り出された木材が使用されていることがわかったからだ。
狭山池のほとりに大阪府立狭山池博物館がある。
玄関に古墳の石棺がズラリ。
水路(流路)として多数の石棺が再利用された名残だ。
周囲約3キロの大きなダム式ため池を造るには、池底を掘り、周囲に堤防を築く必要がある。
狭山池の堤防は推古女帝・聖徳太子の時代から、昭和に至るまで、約1400年にわたって増築・改修が繰り返された。
その歴史を一目で見ることができる。
大阪南部は狭山池から大阪平野に向かって標高が下がって行く。
この大地の傾斜を利用して水路を流し、大小多数のため池(調整池)を設けている。
この巧妙な治水設計が、推古女帝・聖徳太子の時代から始められたことに驚き、続けられてきたことに感謝。
そして、後世、自分たちのベッドが、治水に利用されているのを見て、古代の王たちは、案外、満足しているのかも知れない。
パースを眺めていると、世界遺産となった百舌鳥・古市古墳群を始め、周囲に(調整)池のある前方後円墳がなぜ、そこに造られたのかが、何となくわかってくる。
稲作と定住・・・クニの発展に対応した「治水」
古代の王たちは死してなお、王の仕事をする。やがてこの世に復活し、新たな治世を行う時、さらにクニが豊かになっていることを願って。
まさしくクニウミ・クニビキ、祈りの姿。