身内の所用があり、奈良まで行き、帰りに近くの紅葉の名所・朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)にお参りした。
信貴山(しぎさん)の「信貴山真言宗 総本山」で、山の名が山号になったお寺。
丁未の乱(ていびのらん、587年)の時、聖徳太子が物部守屋と戦う前、戦勝祈願をし、成就した後、伽藍を開いたのが始まり。「信ずべし貴ぶべき山」から信貴山となったとされている。後に真言宗の寺となった(記事末に由緒、HPより)
「信貴山の毘沙門さん」とも云われるように、本堂の御本尊は毘沙門(びしゃもん)天王。
ムカデと弘法大師のウワサ話
ムカデ(百足)は毘沙門天王のお使いとされる。「おあし(お金のこと)」がたくさんあり、皆が足並みを揃えるということで「商売繁盛」を祈る場になった。
お寺ではムカデは「吉兆、よいことの兆し」として逃がすという。
寺のホームページを見ると、「昔の山師(やまし)が使った鉱脈の隠語という説もある」と書いてある。
「丹(朱)の鉱脈探し」と真言宗の開祖・弘法大師の関係、いかにも「らしい」話で気になる。
千手院の護摩(ごま)法要
たまたま護摩法要が行われていた。山伏の無駄のない足運びが格好いい。
朝護孫子寺の紅葉
いろいろ
看板が見える緑と紅葉に囲まれた上のあたりに「蓬の里」。穴場。上の信貴山観光ホテルでは温泉もらい湯ができる。
信貴山の由来(HPより)
今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。
朝護孫子寺の由緒(HPより)
醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました。また、朝護孫子寺は、「信貴山寺」とも呼ばれ、多くの方に親しまれています。