山腹にはたくさんの塔頭(たっちゅう、建物)がたち並び、一度や二度ではすべて回りきれない。そもそも、お賽銭がいくらあっても足りない 笑
護摩焚きの千手院を過ぎ、本殿への石段を登って行く途中、朱の美しい多宝塔を見上げる所に、三宝堂がある。
お不動さん(不動明王)と荒神(こうじん)さん(三宝荒神)さんをお祀りするお社だ。
お不動さんはイメージできるが、実は荒神さんを見たことがなく、そばの社務所の方に御姿をお聞きしたところ「お堂に入ってご覧になれますよ」とのこと。
図々しくも「写真はダメですかね?」と聞くと、フラッシュを焚かなければOKとのこと。ありがとうございます。
三宝荒神、御真言(唱えの言霊)、おん けんばや けんばや そわか
竈(かまど)に住む神様
三宝堂の説明に「荒神は清浄な場所を好むことから竈に住む神様とされ、火難・水難除けの台所の神様「三宝さん」として親しまれ、お祀りされています」とある。
写真は、京都北部の周山・山國の民俗本から拝借したものだが、竈に据えられたお釜の上、王冠のようなものが「三宝さん」。
土間(たたき)、竈、炊飯釜、三宝さん、まとめて「おくどさん」と云う。
参考までに、右側写真の三宝さんに「逆ハート型」の孔があるが、この文様を「猪の目、いのめ」という。火除けのマークらしい。
社務所の方にお聞きすると、三宝は「仏・法・僧」とのこと。いかにも聖徳太子ゆかりのお寺らしい説明だ(十七条憲法・第二条)
ただ私の関心は、仏教伝来よりも、はるか古代のこと。
以前、下鴨神社の「古代のキッチン」大炊殿(おおいどの)ことを書いたが、あわせて考えて行くことで、紀元前より続く「かまど(おくど)信仰」の姿が見えてくると思っている。
日本人は古来「信仰と調理」を結び付けてきた。
さて「こうじん」「あらがみ」どちらで読むか。「荒」は「みあれ、御生れ」に通じる神聖な言霊(下鴨、御陰神社)