ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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住𠮷さんあたり(8)境内摂社 大海神社 出会ったお爺さんにいただいた摂州住吉宮地全図(1827年作)

休みも始まり、久々、自宅から住吉さん(住吉大社)まで8キロウォーキング。

あべのハルカス前からは、ほぼ阪堺(はんかい)電車の軌道に沿って歩くウォーキングコース。

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パンダ電車、あべのハルカス

大海神社と海幸山幸(うみさちやまさち)神話

住吉大社境内社大海神社(だいかいじんじゃ)にお参りした。

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住吉大社 境内摂社 大海神社式内社

大海神社の御祭神は、海幸山幸(うみさちやまさち)神話の海宮の竜王豊玉彦命(とよたまひこのみこと)と、その娘・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)。

豊(トヨ)は、現在の大分・福岡北部・山口南部を領土とした古代王国「豊(とよ)の国」のこん跡(キーワード)と妄想している。

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住吉大社 境内摂社 大海神社式内社

住吉さんは、弥生・古墳時代のモノノベ全盛期 、瀬戸内海~福岡~対馬韓半島南部の交易ルート、日本側の出発点で、船底が深い構造船の出入りがしやすい良港(住吉津)だった。(先日記事

水深が深くて「墨」のように黒く「葦」が生える港というほどの意味で「すみよし」と呼ばれたという説も(葦は”あし”とよむが”よし”とも読む)

住吉大社の南に「墨江」という地名もある。

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大海神社 本殿 住吉津と舟の図

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大海神社 本殿 住吉造 檜皮葺 国宝

創建時代、鳥居のそばあたりまで来ていた海岸線に西面している。

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境内から鳥居 創建時鳥居の辺りまで海が来ていた

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摂社 志賀社(志賀島から勘請)

江戸の文化人・大田南畝(おおたなんぽ)の文学碑

境内で写真を撮っていると、ちょうどお参りされていたお爺さんに声をかけられた。(お年寄りと猫とはよく会話する。笑)

お聞きすると現在93歳で長年、大学で国文学を教えておられた方で「特別に」境内にある文学碑を教えていただいた。

大海神社には何度もお参りしており、らしいものを見たことがなく「???」とついて行くと、本殿横の立ち入りできない柵の向こうに、相当風化の進んだ碑があった。写真は柵の間からスマホをかざして撮影。

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江戸時代の文化人 大田南畝(なんぽ)の碑

大田南畝(なんぽ。寛延2年(1749年)~文政6年(1823年))。別号・蜀山人。江戸で幕府官僚のかたわら狂歌で名声を得た文化人。

大阪銅座の役人として赴任した約一年(1801年)の時代に建てられたのだろう。碑に何と書いてあるのか、調べ方は教えていただいたので、また追記しておく。

ja.wikipedia.org

摂州住吉宮地全図(文政十年 1827年

お爺さんと別れ際に思わぬプレゼントをいただいた。「神社に興味のある人にあげているんだよ」と、江戸時代の住吉さんの宮地図のコピーをいただいた。

当時の住吉さん詣りの観光案内図のようなものだろうか。摂津名所図会(1790年代)より後の時代の作だが初見の図だ。

(左側が北)

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摂州住吉宮地全図(文政十年 1827年

時代的には、勝海舟(かつかいしゅう)は文政六年(1823年)の生まれなので、海舟が子どもの頃の地図ということ(明治維新(1868年)の約四十年前)。海舟は江戸から明治への大政奉還の幕府側の主役。

家に帰ってしばらく地図を眺めていた。

以前書いたことの新情報、また気がつかなかったことがいくつかあるので、また少し詳しく。

www.zero-position.com