ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

住𠮷さんあたり(9)摂州住吉宮地全図(1827年)に見える明治の神仏分離以前の大社の姿と新たな謎

前回(住吉・大海神社お参りの時、たまたま出会ったお爺さんから摂州住吉宮地全図(1827年作)をいただいた)

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いただいた地図は明治の神仏分離(1868年)直前の住吉大社の姿で、境内の神宮寺(じんぐうじ)が描かれている貴重なものだ(現在は神宮寺跡の碑があるだけ)

(神宮寺や神仏分離令についてはWikiなどでご覧ください。)

摂州住吉宮地全図(1827年

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パノラマにしたもの

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大社・北側(左が奥天神=生根神社が見える)

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大社・中央(四本殿の境域、右に石舞台、左上は神宮寺)

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大社・南側(神田から南側)

地図をみて妄想&加筆

以前の妄想考察(住吉さんあたりシリーズ)から新しく発見したこと、気になることを地図に書き込んでみた(テーマ直下「住吉さんあたり」をクリックで一覧表示)

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摂州住吉宮地図に加筆

以前:先住の出雲族(三女神信仰、女神ライン)の後に、物部氏がこの地にやって来て住吉大社男神ライン)を創建したと妄想した(出雲後物部)

*女神:奥津・タゴリ姫、中津・タキツ姫、辺津・イチキシマ姫(宗像三女神

男神底筒男命中筒男命表筒男命(大社御祭神)

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前回の妄想考察(生根神社と石舞台を南北基準線とした)

● 奥天神(生根神社)と石舞台の南北関係が正確に描かれており、全体として精密な地図だと判断する

● 奥天神は住吉大社と一体化していた(奥天神に種貸社の元社・種貸神社。御祭神は少彦名命一寸法師

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● 奥天神~石舞台を通る南北ラインは正印殿を通る(現在は大社の南約五百メートルに正印殿=住吉行宮跡(国指定史跡)がある)

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住吉行宮跡

● 南側に現存しない二つの神社があった(新年に方違明神社、三村明神社が実在することを確認)

南北・女神ラインはもっと大きなものだった

以前は現在の住吉大社の範囲で考えていた。住吉さんはもっと南側に規模が大きかったことを想定しなければいけないと反省した。

現存しない二社と正印殿跡について、もう少し詳しく調べてゆく必要がある。

そして新しい謎

この南北・女神ラインを、ずーっと南に伸ばして行くと。

遊びのつもりだったが、もしやと思い・・・(詳しくは緯度・経度計算で確認する必要はある。)

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住吉大社の南北・女神ラインの先、仁徳天皇陵・墓域

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大阪府立近つ飛鳥博物館

今のところ、頭が消化し切れていないので報告(速報)だけ。考察は年明け(2020年)、フィールド調査してから。

それにしても貴重なヒントを古地図からいただいたものだ。不思議なお爺さんとの縁と運に驚いている。

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宗像大社 三女神 古代人が方位と配置を重視する例として