古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE
前回記事
年末年始で間が空いてしまったが、ヒスイの古代史の続き。
物部氏は、今でいう通貨価値としても通用するヒスイと鉄を独占し、
前方後円墳の造営と水田開発(=国土開発)利権も独占する
「独り勝ち」の状態(西暦400~500年代がピーク)
これに対し、ヤマト王権と諸豪族が連帯し、丁未の乱(587年)が起きたと考えている。
丁未の乱は、崇仏派の聖徳太子軍と排仏派の物部氏の「宗教戦争」というのが通説だが、
ひとり繁栄し過ぎた物部氏を徹底して滅ぼすための過酷な「経済戦争」だったと考えると、
● 河内(大阪)に難波玉作部がいて、
● 一方、糸魚川(新潟県)のヒスイ加工集団が忽然と消えた理由も、ワンストーリーで説明できる。
物部氏は、大阪城から森之宮・玉造、八尾あたりの各本拠そばに「金の成る木」のヒスイ加工集団を移住させたと考えるとスムース。
輸出港の「住吉津」(住吉大社あたり)も近い。
難波玉作部の居住地跡 玉造稲荷神社の御神紋は勾玉
● 大阪市中央区玉造2-3-8
● 御祭神
(相殿神)下照姫命(したてるひめのみこと)、稚日女命(わかひるめのみこと)、月読命(つきよみのみこと)、軻偶突智(かぐつちのみこと)
次回、玉造稲荷神社について、ご由緒などもう少し詳しく