ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

摂州住吉宮地全図の謎を追う(3)【開口神社 珍しい三つ茄紋 通称 大寺さん】住𠮷さんあたり(12)

前回記事(摂州住吉宮地全図(1827年)に描かれた住吉さん-仁徳陵、南北ラインの謎を探訪)

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今回は 方違神社 の西、約1キロに鎮座する開口神社(あぐちじんじゃ)の紹介(大阪府堺市堺区甲斐町東2丁1-29)

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方違明神社と三村明神社(開口神社

社伝では神功皇后(じんぐうこうごう、第14代仲哀天皇皇后、西暦200年代、住吉大社第四本宮の御祭神)の時代に現在地に創建。

奈良時代(西暦700年代)には、港を守護する開口水門姫神社(あきぐちみなとひめじんじゃ)と呼ばれていたそうだ。

天永四年(1113年)に開口村(あぐちむら)、木戸村(きどむら)、原村(はらむら)の三村の神社を併合したので「三村宮」「三村明神」と称された。

御祭神は、開口村の塩土老翁神(しおつちおじのかみ)、木戸村の素戔嗚神(すさのおのかみ)、原村の生国魂神(いくたまのかみ)。

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開口神社 東側 鳥居

社紋(御神紋とは云わない?)は、珍しい三つ茄(なす)。 もともとは三つ巴紋だったが、奈良時代・白鳳年間(西暦600年代後半)に氏子の夢に三つの茄子が出て来たのが目出たいことだと、巴(ともえ)が茄子に変わったと伝えられている。

「剣が大根」になったケースは知っていたが「巴が茄子」は始めてだ

伝は別にして、紋が野菜に変えられるのは「無力化、武装解除」を意味し、対抗勢力の消長の歴史のこん跡のように思う。

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開口神社 本殿 社紋の三つ茄

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境内合祀社 社紋の三つ茄

奈良時代天平年間(西暦700年代前半)、河内の僧・行基(ぎょうき)が境内に念仏寺を建立してから神仏習合の霊地となった歴史があり、地元では「大寺(おおてら)さん」とも云われるようになった。

明治の境内図には大寺さんのシンボル、三重塔が描かれているが、太平洋戦争の大阪大空襲(堺大空襲)で焼失した。

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社務所 三重塔 復元模型

境内

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開口神社 境内図

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西側の鳥居と狛犬

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西側 通りそばの金龍井

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手水舎 気になる十字

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影向石 開口大神(塩土老翁神)が腰掛けられたと伝わる石

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左から舳松(へのまつ)神社、塞(さい)神社、白髭神社

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竈神社 三方荒神

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与謝野晶子は堺出身

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三つ茄

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