久しぶり、地元・大阪歴史博物館に行った。
江戸~明治期に活躍した熊本益城町出身、生人形(いきにんぎょう)師、松本喜三郎の特別展示が開催されていた。
押絵「西国三十三所観音霊験記」と生人形(~3月2日)特別展示 大阪歴史博物館入場で閲覧OK
幼いころから天才的な器用さで、二十歳の頃には自身が制作した等身大の人形を大阪や東京で見世物興行して人気を博した。
その最高傑作と云われるのが「西国三十三所観音霊験記」三十三編のシリーズ。
残念ながら、松本喜三郎の生人形は、そのクオリティの高さからほとんど海外に流出し、国内に残るのは十点にも満たないとされる。
大阪歴史博物館には、第十八番・京都六角堂の華道、池坊家元の頭部と手の生人形が収蔵(寄贈)されており、その貴重なお披露目の展示。
明治期に人形が流出した後でも、興行は大正2年(1913年)から昭和初期までの約20年間、ここで紹介する押絵(おしえ)展示の形で続けられ、特に「西国三十三所観音霊験記」は人気で、九州から関東・北陸までの296の寺院・百貨店(呉服店)で巡回展示されたという。
老朽化した押絵を、松本喜三郎出身の熊本の人たち(NPOくまもと文化財プロジェクト)が修復、益城町教育委員会が所蔵することになった三十点近くをまとめて見学させていただいた。
中から五点をセレクト。
霊験記シリーズのモチーフとなった西国三十三所観音巡礼では、(以下パネル文字起こし)
「平安時代末期から盛んになった巡礼習俗で、巡拝して観音の功徳にあずかることを願います。養老年間(717~724)に大和長谷寺の徳道上人が仮死状態となって会った閻魔大王の教えにより、衆生救済のために三十三か所の観音霊場をつくり巡礼をすすめたことに始まると伝えられています」
「松本喜三郎の生人形興行は、西国巡礼の各霊場や霊験譚に取材しています。」
西国三十三所観音霊験記、五点紹介
西国三十三所観音巡礼の所縁を描いた第八番・押絵。
いかにも霊験譚らしい第十番。
関西では唯一、生人形が残る第十八番。
京都・吉田神社を創建した藤原山陰(ふじわらのやまかげ)の物語。日本料理の祖とも伝えられる。
観音様の霊験により、大亀に救われなければ、吉田神社も日本料理も生まれなかったかも知れない。
藤原山陰と料理については、山陰が仏舎で仏像を彫る童子のために千日間、料理をつくった話が総持寺の絵巻に描かれている。
( http://sojiji.or.jp/about/ryakuengi/ )
総持寺の御朱印には、大亀に乗った童子の山陰の印が押されている。
聖徳太子はほんとにいろいろなところに登場される。