昨年12月、大阪府立弥生文化博物館(大阪府和泉市)「北陸の弥生世界 わざとこころ」を見学した(12月15日終了)
弥生時代の北陸屈指のものづくり大集落であった「八日市地方(ようかいちじかた)遺跡」(石川県小松市)の出土物を中心にした展示。
2017年には、鉄製のヤリガンナが柄に装着された完形で出土したことで話題になった。(本記事は玉作について。ヤリガンナは週末の「日本の古代製鉄の謎」二回目で紹介)
弥生集落の下の古い地層からは縄文集落も発見されており、長期にわたって人々が生活していたことがわかっている。
近年、日本海沿岸では縄文~弥生時代の重要な新発見が続いており、教科書の古代史も書きかえられつつある。
八日市地方遺跡・小松市内の碧玉原石
全体的に、ヒスイの勾玉よりも碧玉の管玉(へきぎょく くだたま)の展示が多く、解説も豊富で、八日市地方遺跡は管玉づくり集落の佐渡・新穂村玉作遺跡群(弥生後期)に近いイメージをもった。
管玉の原料となる碧玉は、同じ小松市内の南東の山麓側、小松市那谷・菩提・滝ヶ原地区で産出した(産地は天然記念物指定)
驚くべき極細管玉づくり、マイクロ精密工具と超絶技巧
①~④ 碧玉を石鋸(いしのこ)で擦り、溝を付け分割(施溝分割)し、繰り返して小さい角柱状にしてゆく
⑤~⑥ 細かな作業である程度の形を整えてから、砥石で磨いて多角柱状にする
⑦~⓼ 石針(いしばり)で孔をあけて、最後に丸く光沢が出るまで玉砥石(たまといし)で磨いて完成する
管玉は直径4~6mmが主だが、中には3ミリ以下の極細タイプもある。極細の円柱に穿孔するためには0.5~0.7ミリの石針もあるという。
しかも、管玉ひとつに孔を開けるのに、少なくとも3タイプの石針を使い分けていたそうだ。
そもそも石針のような小さなものが、どのようにして作られ、どのように使われていたのだろうか。興味が尽きない。
集落への物資の集積が意味すること
管玉ひとつ作るにしても、必要な原材料・物資が、日本国内の広範囲の交易で集積していたことがわかる。
【管玉】原料:碧玉 / 産地:小松市周辺(那谷・菩提・滝ヶ原地区など)
【石鋸】原料:紅廉石・石英片岩(紅廉片岩)・白色石英片岩 / 産地:和歌山県紀ノ川流域、徳島県吉野川流域
【石針】原料:黒色安山岩、メノウ(出土数は少ない) / 展示記載なし、メノウは日本海側に産地集中
【研磨】原料:金剛砂(こんごうさ) / 展示記載なし
現代のモデルにもなるような「サプライチェーン(集約と加工と供給)の形」が、はるか昔、弥生時代の日本で築かれていたことに、ただただ驚くばかり
そしてそれが縄文時代、糸魚川で発祥したヒスイ加工(大珠・小珠)産業(文化)の継承でもあることを考える必要があると思う(ヒスイの古代史シリーズ、テーマ直下のカテゴリーをクリック)
以前の記事(新穂村玉作遺跡群、佐渡市新穂歴史民俗資料館)
昨年11月。佐渡島にて。この時から「石針」がどういうものか見てみたかった。