ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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日本古代製鉄の謎(3)アムール ハイウェイとタタール(間宮)海峡【古代の北方ルート雑考】

前回記事 の後半で書いた、北方ルート。

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製鉄技術の日本への伝播(日立金属サイトより)

www.hitachi-metals.co.jp

北方ルートはあいまい(一直線。笑)に描かれているが、具体的には次のルートが最もあり得る。

インド北部⇒(タタール人居住域)⇒バイカル湖南東部⇒アムール川源流~中・下流タタール(間宮)海峡⇒サハリン(樺太)⇒北海道渡島地方⇒津軽

中国内を通る陸路は、多民族、人口密度が高く、当然、通行・旅程にリスクを伴った。一方、アムールハイウェイは労力のかからない数千キロの大河下りの旅で、かつ人口密度も低く、リスクはより小さかったはずだ。

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アムール・ハイウェイ(地図はWikiより。加筆)

北部インドと中央アジアの接合部は、東欧・中東・インド・ロシア・モンゴルの交易路ともなる大平原で、この広いエリアにタタール人が住んでいた。

タタールはヨーロッパ(タルタル)、中東(タタル、タータル)、ロシア(タタール)、中国(韃靼、ダッタン)からの視点を有する広範で多様な民族の総称。

バイカル湖タタール語で“豊かな湖”の意)の南東部には古くからブリヤート人(モンゴル系)がおり、彼らも、外形的に区別されることなく、タタール、あるいは韃靼ととらえられただろう。

古代のブリヤート人は、アムール川を交易路として利用する商人だった。

そのこん跡がロシア名・タタール海峡、中国名・韃靼海峡の地名。(日本名は江戸期に間宮林蔵樺太(サハリン)を一周し、島と海峡であることを発見したことにちなんで間宮海峡

バイカル湖付近を源流域とするアムール大河に舟を出せば、流れに任せて行き着く先は間宮海峡タタール海峡)ー樺太(サハリン)という寸法。

樺太までくれば、そこからの水先案内人は縄文海人。

北方縄文人(の一部)とブリヤート人との遺伝的な関連性が確認されている。

二つの民族の地理的接合部が間宮海峡樺太、そして北海道(ワタリジマ)ということ。

北方ルートを視点にすると、例えば、北海道や津軽、総じて古代(神代≒縄文)日本海文化圏が、おぼろげながら見えてくる。

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アイヌ民族の分布 天理大学附属天理参考館

アムール川(中国名:黒龍江

アムール川(中国名、黒竜江)は、ユーラシア大陸の北東部を流れる。モンゴル高原東部のロシアと中国との国境にあるシルカ川とアルグン川の合流点から生じ、中流部は中国黒竜江省とロシア極東地方との間の境界。ロシアのハバロフスク付近で北東に流れを変えロシア領内に入り、オホーツク海にそそぐ。上流部の支流を含めた全長4,368kmは世界8位、流域面積は185万5500km²で世界10位。

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