説明パネル(要約)、金箔を貼った土器、散逸した遺物
亀ヶ岡遺跡は、標高4~16メートルの丘陵に位置し、大きく低地の近江沢、沢根、丘陵上の雷電宮の3地区からなる。シャコちゃんの他にも、綿密な紋様が施されたり、漆で彩色された壺や皿などの土器が出土している。
江戸時代初期の津軽藩の事跡を記した『永禄日記』には、瓶がたくさん出ることから瓶ヶ岡(かめがおか)と地元では呼んでいるという記述があり、古くから著名な遺跡であったことがわかっている。
出土した遺物には、津軽藩主が茶道具として利用するために、内側に金箔を貼った高坏型土器もある。
しかし珍しい遺物がたくさん出ることから、盗掘も盛んに行われていたようで、土器や遺物は日本中に散逸しています。
多くの遺物は地元の人から借りて展示
資料室に展示されている遺物の多くは、地元の人が所蔵しているものを借りて展示している状態で「管理上の理由や所有者の要望から年代別や種類別にはなっていない」と解説されている。
本来、遺物は学術調査で各年代の地層から発掘されることで、考古学的価値が維持されるが、
亀ヶ岡遺跡から出土して地元で展示されているものの多くが、たまたま地中から掘り出され、中には長い間、家宝?になっていたものもあるため、体系的な研究の対象になりにくいという面もあるようだ。
明治や昭和に数次の学術調査(発掘)がされているが、現在はストップしており、勝手に発掘することは禁止されているため、まだまだ、謎の多い、ある意味今後が楽しみな遺跡ということもできる。
さて。展示品のひとつの土偶をご覧ください
(次回に続きます)