御神体・三輪山への登拝口のある狭井神社(さいじんじゃ)から、山の辺の道を北に1キロほど歩いて檜原神社(ひばらじんじゃ)に向かう。


途中、趣きのある土塀の玄賓庵(げんぴあん)を通り過ぎる。


三輪明神とともに、有名な謡曲「三輪」に登場する僧、玄賓(げんぴ)が隠棲した庵。
毎年4月10日(今年は金曜日)大神神社・後宴祭の後に演じられる「三輪」が最も盛り上がる結末の一節。
おもへば伊勢と三輪の神 おもへば伊勢と三輪の神 一体分神の御事(おんこと) 今さら何と云わくら(磐座)や
伊勢と三輪の神さま(の正体)は同じだという・・・私の古代妄想を掻き立てる。
世阿弥(ぜあみ、記事末*で補足説明)は何を知り、あるいは考え、後世に何を伝えようとしたのだろうか。
やはり、ただの芸術家ではないと思う。
神籬(ひもろぎ)とは、祭祀を行う臨時の神の依り代(よりしろ)となる場所。
※大神神社・春の大神祭。8日は宵宮祭、9日は大神祭、10日は後宴祭。今年は中止の可能性あり。参拝される方は要HPチェック
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大神神社摂社(元伊勢)檜原神社(ひばらじんじゃ)
御祭神:天照大神若御魂神(あまてらすおおかみわかみたまのかみ)
配祀:伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)
(文字起こし)ご由緒:第十代崇神天皇の御代、それまで皇居で祀られていた「天照大御神」を皇女、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託しここ檜原の地(倭笠縫邑、やまとかさぬいのむら)に遷し、お祀りしたのが始まりです。その後、大神様は第十一代垂仁天皇二十五年に永久の宮居を求め各地を巡幸され最後に伊勢の五十鈴川の上流に御鎮まり、これが伊勢の神宮(内宮)の創祀と云われる
次回に続く
*記事への指摘をいただきました。謡曲「三輪」は作者不詳とされています。しかしそれも一説です。一方で世阿弥の「風姿花伝」、分りやすく言うと『幽玄の精神』を継承した代表作と考える専門家もいます。本記事は後者の観点で書いています点、ご了承願います。【参考文献:謡曲「三輪」における〈古代〉奈良県立万葉文化館、井上さやか氏より】・・・三輪は世阿弥が風姿花伝で提唱しようとした『申楽の歴史』に基づいており、当曲の作者が世阿弥かそれに近い人物であった可能性は高い。・・・作者は謡曲として作品化にあたり、中世における古代を享受するにとどまらず、「末代の衆生のため」に新たな要素を加え、換骨奪胎(かんこつだったい、中身を大幅に入れ替えるほどの意。)することをためらわなかったと思われる。