私事(わたくしごと)のブログで変な書き方だが、
私事ながら、干支(えと)五回り分、住んでいた街を離れることになった。
車で十分ほどのところだが、神社や寺の多い町から、寺や神社の多い町に引っ越しする。笑
住み慣れた街は夕陽がきれいな所で、桜の季節は景色も華やぐ。
記憶に残しておきたいというのと、ご来訪いただく皆さんにもよかったら見ていただきたいと想い、昨日に続き書かせていただく。
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よかったらBGMにどうぞ。遥か昔、この人のこの歌から映画音楽やジャズをよく聴くようになった。
ナット・キング・コール、君住む街角(Nat King Cole、On the Street Where You Live) *初期音量にご注意
ライラックの季節には少し早いけれど、春の宵、心地よい曲風(マイ・フェア・レディより)
清水坂、口縄坂(天王寺七坂のうち二坂)
このあたりは古代大阪(津の国)の海岸線。崖や坂が多く、古くから地下水が湧き出るあたり。井戸もずいぶん減った。
お気づきだろうか?二枚の坂の写真とも、夕月が入るように撮影してみた。
夕陽に映える浄國寺の瓦塀(天王寺区下寺町一丁目)
夕陽に映える瓦塀。これほどの瓦塀は京都でも奈良でも見たことがない(一週間ほど前に撮影)
向こうに見える高い石垣の上は、難波大社・生國魂神社(いくたまじんじゃ)の本殿。
内緒だが、ここから本殿が見えることは、地元の人でもあまり知らない。
夕陽丘命名の地。陸奥(むつ)家の元墓所。小松帯刀の埋葬地
昨日紹介した藤原家隆の墓、家隆塚(かりゅうづか、天王寺区夕陽ケ丘町)の近く。
坂本竜馬の海援隊に参加し、維新後、外務大臣として活躍した陸奥宗光は最初にこの地に埋葬された。
宗光の父、宗弘は紀州藩の人だが、家隆を慕い、晩年をこの地で過ごして以来のご縁。
お地蔵さんは清地蔵(さやじぞう)。二十歳で亡くなった愛娘を弔うために宗光夫婦が建立したもの。
またこの地には、維新直前に活躍した薩摩藩家老、小松帯刀(こまつたてわき)も埋葬されていた。
浅野家大坂の菩提寺、義士の寺・吉祥寺(天王寺区六万体町)
赤穂浪士(四十七士)で有名な浅野家の大坂の菩提寺だった吉祥寺さん。
徳川幕府の命令で、全浪士が切腹した後、足軽で一人生き残った寺坂吉右衛門(信行)が四十七士の遺髪、遺爪、鎖かたびらに銀十両を添えて建碑を当寺に依頼したという。
おまけだにゃあ(四天王寺さん、亀の池石舞台にて)
向こうに見えるのは六時堂。