ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

夕陽の生國魂神社 生玉の杜 かつての蓮池の名残 えびす・べんてん 精鎮社

織田作之助の像

生國魂神社大阪市天王寺区生玉町)の北鳥居から入ると、複数の境内社が並ぶ「生玉の杜」には、織田作之助井原西鶴の像、芭蕉句碑(菊に出て奈良と難波は宵月夜)があります。

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生玉の杜(もり)

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織田作之助像(生國魂神社境内)奥に精鎮社の赤い鳥居

(オダサク像・文字起こし)大正二年(1913年)10月26日生。大阪を愛し、三十三年の生涯は太くて短かかった。有名な「夫婦善哉」など多くの小説は、庶民の生活を題材にした。井原西鶴を師と仰ぎ、ジュリアン・ソレル(スタンダールの『赤と黒』の主人公)を友として上方文化の発展に大いに寄与された。生誕百年を祝して顕彰する。「・・・生國魂神社の境内の巳さん(みぃさん。蛇のこと)の棲んでいるといわれて怖くて近寄れなかった樟(くすのき)の老木があったり・・・」『木の都』より

精鎮社(生玉の杜、境内社

生國魂神社(いくたまじんじゃ)本殿の北側に、精鎮社(せいちんしゃ)が鎮座しています。

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難波大社 生國魂神社 境内 精鎮社 右奥は生國魂神社本殿

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精鎮社 ご由緒

御祭神は、事代主神(えびす様)、比咩大神(べんてん様)で、御利益は商売繁盛・豊漁満足・海上安全。

御由緒には『往古、表参道・蓮池(はすいけ)に祀られていた弁財天社(明治初年精鎮社と改称)で、特に鮮魚を取り扱う商人、漁師や釣り人の信仰が篤い』と書いてあります。

蓮池とは、生國魂神社の東の鳥居前(表参道側)の低地に公園があるのですが、かつてはそこにあった池のことです。

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生國魂神社 表参道・東鳥居 西日(夕陽)の時間帯に東西から撮影

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東の鳥居前 水戸藩士・河崎孫四郎、笠間藩士・島男也の碑 向こうに、かつて蓮池だった公園

お詫び

お恥ずかしい話ですが、昨日、精鎮社のご由緒の『往古』を『住吉』と読み間違い、誤った内容で書いておりましたので、訂正のため、いったん取り下げました。

偶然にも、住吉さんの古地図(摂州住吉宮地全図、1827年)に、蓮池と、そばの弁財天社を発見し、少し考察も加えてアップしていたのです。

アップの間、ブクマいただいた方、申し訳ありませんでした。記事を訂正の上、再アップさせていただきました。

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摂州住吉宮地全図

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摂州住吉宮地全図 蓮池と弁財天社(どちらも現存していない模様)

ミスをしてみて、神社には共通した配置の様式があることに、あらためて気がつきます。今後の神社探訪の反省と参考にしたいと思います。

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生國魂神社 皇大神宮

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御祭神 天照皇大御神

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