後にも先にも、日本のイベント史で最大のものはEXPO70、大阪万博(正式名称:日本万国博覧会)でしょう。
1970年3月14日から9月13日までの半年間(183日)の会期期間に6,400万人。計算では1日平均35万人の入場者を大阪千里の会場に集めました。
会期終盤に60万人以上の人出で大混雑で親に反対され、行くのを断念した記憶があります。
(なおこの入場者数は、最高を記録した2019年度(一年間)の、東京ディズニーランドと東京ディズニーシーの2パーク合計の入場者数(3250万人)一日平均約9万人の4倍の過密さです)
今から考えると、当時の設備や技術で、大混雑が続くなか、よくぞ重大事故を起こさなかったものだと驚きを禁じ得ません。
とはいうものの、会場内では、それなりに事件・事故がありましたので、少しだけ紹介します。
太陽の塔・アイジャック事件(4月26日~5月3日)
赤軍派を名乗る男が、太陽の塔の右目に8日間にわたって籠城した事件です。
ちょうど50年前の今日、犯人が逮捕されたんですね。
開催当時、学生運動から発展した過激派(赤軍派)によるテロ事件が相次いでおり、直近の3月末には、福岡空港で日本航空機が乗っ取られた「よど号ハイジャック事件」が起きたばかり、世間の注目を集めました。
籠城期間中、犯人の身に危険ということで、太陽の塔の目の光線を落としたぐらいが実害で、万博そのものは通常通り開催されていました。
むしろ犯人を一目見ようと野次馬で会場に行った人も多かったと聞きます。
結局、犯人は赤軍派とは関係のない目立ちたがりのお兄さんの単独犯行ということで事件は終結しました。
なお、直後の5月には、瀬戸内航路で猟銃を持った男が旅客船・ぷりんす号を乗っ取った事件も起こり(犯人は日本警察史上初の射殺)、
ハイジャック事件、シージャック事件の流れで、アイジャック事件と云われました。
大混雑×行列=転倒事故
今でも大規模イベントではたまに起こり得る事故ですが『動く歩道』で500人が転倒し、80人がけが(重軽傷)したのが、EXPO70では最大の人身事故だったと思います。
この事故については手元に資料がないですが、たまたま、当時の会場でもらったファクシミリ新聞に、万博最初の転倒事故(3月22日)が報じられていました。
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もちろん、東京オリンピックも一大イベントでしたが、半年にわたる長期開催で、当時の日本の人口の約半分もの人を集めた大阪万博が、大規模な参加型イベントの始まりだったでしょう。
思い返せば、ここからイベントや会場に人を集め、新たな消費を産んで回す経済と『超密の時代』が始まりました。
今年でちょうど50年。これから始まるポストコロナの時代のことを考えながら記事にしてみました。
なお、途中、報道記事を挟んでいましたが、すべて、引越前の押入れから出てきた分厚い昭和史からの引用です。
歴史好きには、この資料は捨てられません。