地理・地学に詳しい人には、よく知られた話なのですが、二条城は少し傾いて建てられています。
地球には二種類の北があります
● 天空の北極星の真下の地球上、つまり北極点の方向を示す『真北、しんぽく』
● 方位磁石が指し示す『磁北、じほく』
鳴くよウグイス(794年)平安京とともに始まった京都御所は真北に向けて建てられていますが、
1600年代の二条城は、当時日本に入ってきたばかりの最新の方位磁石(コンパス)で測量したため、東に約3度、傾いて建てられました。
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地球の中心部(コア)は、鉄などがドロドロに溶けた液体のため地球の回転のチカラで『適当』に動き回り、それにあわせて、磁力の方向も『適当』に変わるため、磁北はどんどん変化しています。
現在は、京阪神(平均)ですと、磁北は西に7度少し、傾いていますので、地図に書き込んでおきました。
ちなみに、近年、磁北が、距離にして一年で60キロ以上のスピードで変化していますので(日本などの中緯度の国にはたいして影響はないのですが)高緯度の国になるほど、特に航空管制の分野で大きな影響が出ています。
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さて、四天王寺さん(創建593年)
南北方向に金堂や五重塔がならぶ『四天王寺式伽藍、してんのうじしきがらん』として知られていますが、私はてっきり、京都御所のように『真北』に配置されているものと思い込んでいました。
しかし、古代上町半島を調べていて、そうではないことに、最近気がつきました。
四天王寺の伽藍は、西に3度ほど傾いています(正確に測定したものではないですのでだいたい)
なぜ二条城の例を先に出したかと云いますと、磁北基準で建てたからじゃないの?という質問があるかもと想定して、そうではないことを説明するためでした。
そもそも、四天王寺さん創建のころに方位磁石はなく、つまり、磁北を測る手段すらなかった時代です。
さて、北極星の方向、真北を向かないで、四天王寺さんの伽藍は(わざわざ)どこを向いて建てられたのでしょうか?
そのあたりのことを、次回、古代妄想をまじえて書きたいと思います。
*この他に地球の自転軸が約2万6000年をかけて回るように動く歳差運動(さいさうんどう)というのがあり、北極星も動きます(変わります)。しかし、四天王寺創建の千四百年前と現在ではあまり変わりません(京都御所の真北が今とあまり変わらないのがその証拠)ただし1万6000年前・縄文時代ともなると、さすがに歳差運動による北極星の変化を考慮する必要がありますね。( ´∀`)