ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください


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四天王寺の鬼門に鎮座する五条宮(主祭神:敏達大王)かつての毘沙門池

四天王寺さんを出て、北東に隣接して五条宮(大阪市天王寺区真法院町)が鎮座しています。

主祭神は、第30代敏達(びだつ)大王(在位:572-585年)※四天王寺創建は593年

(敏達大王の別名:訳語田天皇・おさだのおおきみ、渟中倉太珠敷尊・ぬなくらのふとたましきのみこと。第33代推古女帝の旦那様。)

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五条宮(大阪市天王寺区真法院町)写真は南側から撮影

敏達天皇が皇太子のときに居住した邸跡と伝えられています。

(敏達大王が日羅公を召還したのは、この場所だと考える理由のひとつです。)

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その後、四天王寺さんの創建にともない四箇院(しかいん)のひとつ療病院(病院に相当)が置かれ、おそらくそれが理由で、医薬の祖神・少彦名神が祀られた社となり、さらにその後、敏達天皇社とあらためられ、明治のころから五条宮と呼ばれるようになったと考えられます。

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本殿と個性的な狛犬(五条宮)

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狛犬正面(五条宮)

敏達大王の父上の欽明大王(第29代)の二文字が刻まれた碑。

中国の漢詩からとられた一文『欽明仰聖皇 治理逢熙運』で「欽明を聖皇と仰ぎ、輝かしい幸運に恵まれ(物事が)治まる」というほどの意。

内容からみて、おそらく明治期以降に設置されたものでしょう。

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五条宮 北側鳥居から

敏達大王が若いころに過ごした邸宅であるとすれば、ここには欽明-敏達の大王父子(二世代)に関連する宮があったものと考えられますが、私と同じように考えた人が、明治ごろにいたのかも知れません。

その手掛かりになるのが、毘沙門池(びしゃもんいけ)です。

大王の宮にとって、一定規模の官人組織をまかなうことができる水源地は必須だからです。

私が子供のころにはほとんど埋め立てられていて、今や影も形もありませんが、五条宮の境内に記念碑が残っています。

自分と近い世代の人の話では、ザリガニやカエルのいる小さな池があったそうですが、子どもの足でここから少し遠い所を遊びのホームグラウンドにしていた私は知りません。

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そばの「旧毘沙門池紀念」の石碑(五条宮)

鬼門の守護神・毘沙門天(四天王の一人)

おそらく、四天王寺さんの北東=鬼門にあたるところから、毘沙門池と呼ばれたのでしょう。

四天王の一人、毘沙門天は北方、日本では鬼門の方角の守護神です。

さて、毘沙門池は、古代はどんな姿で、池や池の周辺には何があったのでしょうか。

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大坂弘化地図(1845)五条宮 毘沙門池 四天王寺

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五条宮から四天王寺方向

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