最近は、地元の上町台地の歴史の記事が多くなりました。
緊急事態宣言で、地元回帰したのもありますが、
もともと当ブログを始めた約一年前を一巡目とすると、二巡目の古代妄想に入っているからです。
庶民的な近づきやすさとともに、四天王寺さんには多くの謎が残されており、それらが私を惹き付ける魅力です。
開物発事版、シン(新)四天王寺の七不思議のページを作ってみました。
あちこちにリンクを張るとややこしいので、各テーマのリンクページは考察(古代妄想)最新版オンリーにしました。その流れで、記事内リンク先、各記事のタイトル下のカテゴリーをクリック、または、PC版なら右サイド、スマホ版なら記事下のテーマバナーをクリックして、興味のありそうな記事を探してください。
なお、当ブログの読み方を、あらためて紹介しておきます。★マークの数は私の古代妄想の程度を表しています。
古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE
(一)金堂鳥居と物部守屋祠 (二)古墳時代の巨大石棺のフタ
残念ながら、昨年秋以降、石棺のフタはどこかに運ばれて、今は見ることができません。
今はどこに保管されているのか、寺に聞いておきたいと思っていますが、どなたか知っている人がいたら教えてください(聞こうと思っているうちに、緊急事態宣言で閉堂になりました)
今は、石棺のフタを実測できませんが、国土地理院地図で、おおよそ測定すると、長径3メートル弱、短径1メートル程度の巨大さ。
縄掛(なわかけ)という突起が周囲に8本ある(あった)のがわかりますね。
縄掛の数と大きさから、実はこの石棺のフタは、大王(おおきみ)クラスのものとしか考えられません。
(右隣の似たような形のものは、石鳥居の破片。これは今もこの近辺にありますので、ここから石棺フタの大きさを推定することができます)
日本最大級 の大きさと考えられますが、なぜ、考古学がこれを調べないのか、むしろ不思議です。
個人的にこれ(↓)との関係を(激しく)疑っています。
サイズがほとんど同じです(たぶん)
模型は、明治期の発掘記録に書かれた寸法に基づき、再現されています
(宮内庁管理で、石棺のある石室には、明治以来、誰も入っていません。進駐軍が入ったとの噂はありますが、真偽のほどはわかりません。)
(三)中心伽藍の傾き★
(四)四天王寺七宮★
(五)地下水脈のヒミツ
(六)元四天王寺から移転した謎(秋までにアップ予定)リンク先は先行記事
(七)現在考え中。いろいろありますが厳選が難しい。笑。
とりあえず、四天王寺七ふしぎの最新記事をリンクしておきます
*****