昨年四月にはてはブログを始めて、本日で四百回目の投稿になります。
いつも古代妄想にお付き合いいただく皆さまには、感謝しかありません。
祈念すべき四百回目。何を書こうか考えた結果、当妄想ブログの底流を「成すもの」を少し紹介したいと思います。
縄文の海人(かいじん)★★★
古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE
日本のはるか昔から現代に至る、歴史の背骨みたいなものが 海と山に生きた御先祖様と世界最長の信仰と文化 です。
現代日本人にも列島固有の縄文遺伝子が残されていることは、様々な研究に共通した結果です。一万六千年続いた縄文の歴史は、まだまだ続いているのです。
縄文の人々は一本の木をくりぬいた舟で海(沿岸)を自在に移動し、強じんな運動能力と携帯用スーパーフードで、山奥の八街(やちまた)の小道を駆け抜けました。
その機動力は、南西諸島、大陸・半島、オホーツク・シベリア(バイカル湖)、そしてアリューシャン列島を越え、北米、そして南米にまで至ったと妄想しています。
妄想とは書いていますが、近年では、残された遺跡や遺物から、北米サイドからも縄文文化へのアプローチが行われるようになりました。
安曇(あど)・住吉・鹿島★★★
列島には、三つの縄文海人族の子孫の系統がありました。
縄文と出雲が習合した 安曇 は日本海交易圏のもと、日本海側から本州太平洋側に向けて、カミガミのクニを造りながら進出し、黒潮文化圏とオホーツク文化圏を繋ぎました。前者は同じく南方縄文の「薩摩隼人」や「肥後久米」、後者は「(北方縄文の)アイヌ」や「(バイカルの)ブリヤート」。したがって、列島、いや、世界最古・最大の海人族ということになります。
半島との島伝いでの交易・交流で発展したのが 住吉 。実体は対馬~北部九州を勢力圏とした津守氏(つもり)です。地理的に見ても安曇の系統で間違いないでしょう。住吉と名の付く神社の分布から、北部九州・瀬戸内海(中国・四国地方)を西に移動してきました。倭の五王時代などについても、このあたりを含めて理解する必要があると考えています。
*古代中国の歴史書に登場する和国の五人の大王、讃・珍・済・興・武。諸説ありますが、仁徳(16代)・反正(18代)・允恭(19代)・安康(20代)・雄略(21代)の可能性が高いと思われます
そして、おそらく、もともと渥美半島を本拠とした縄文の流れの 鹿島 。北(東)は房総半島(鹿島神宮)から東北太平洋側(鹿島信仰)に至り、南(西)は熊野、そして、伊勢から陸路、吉野~飛鳥に至る海人勢力です。渥美半島の縄文遺跡では、河内の二上山から産出するサヌカイトの石器が検出されており、この時代から海路・陸路を通じた交流が行われてきました。吉野から奥明日香・入谷にかけて、彼ら(国栖、葛、くず)の拠点としてのこん跡が残されています。そしてそれが「時代を変えた」古代戦争・壬申の乱の謎解きのヒントでもあると考えています。