まとめ
大和葛城山 が源の #曽我川 #葛城川 は大和盆地を北上し合流、大和川に注ぎます。二川流域には #弥生遺跡、古墳時代の #曽我遺跡(玉作)など。初回は #ヤマトの首渠神(ひとごのかみ)#事代主 の #河俣神社、#コノハナサクヤヒメ の #木葉神社 #雲梯 #うなて
目次
本文
ヤマト創世記の舞台、曽我川流域
大和盆地の南西部の大和葛城山を源流とした曽我川(そががわ)は奈良県橿原市の中心を貫くように南から北に流れています。
流域には、唐古・鍵(田原本町)や纏向(桜井市)よりも古い弥生遺跡から、古墳時代の曽我(玉造)遺跡まで、それらに関連した神社、神武天皇陵(橿原神宮)を始めとした王陵も多数、存在しています。
同じく大和葛城山から下るもうひとつの葛城川流域とともに、曽我川の流域からヤマト(王権)が始まったと言えるでしょう。
河俣神社(かわまた、橿原市雲梯町689)
てはじめに、曽我川ほとり、雲梯(うなて)町の式内社・河俣神社にお詣りしました。
御祭神:鴨八重事代主神(かもぅやえことしろぬしのかみ)
曽我川の東河畔に沿って南北に長い境内で、鳥居が北を向いているのが特徴です。
(万葉集)作者不詳、巻12-3100
思はぬを 思うと言はば 真鳥(まとり)住む 卯名手(うなて)の杜(もり)の 神(かみ)し知らさむ
『思ってもいないのに思っていますなどと言えば、立派な鳥*1の住むウナテの社の神様が(嘘を)すべてお見通しのことでしょう』
*****
雲の梯(はしご)と書いて『うなて』。歌の中では「卯名手」
雲梯について、御祭神が事代主(鴨)であることから、出雲に由来した『雲』であると考えています。
(先日紹介した畝傍山を古くは「雲根火山」とも書き、出雲文化を示唆していると思います。畝傍山との直線距離は1km以下)
南北に流れている曽我川は東西の行き来に不便で、後で紹介する木葉神社との渡り橋(梯)のようなものがあったのだろうかとも思います(雲梯=出雲橋の意?、川またぎ→河俣?)
畝火山口神社、住吉大社、埴取り神事
住吉大社(大阪市)では毎年二月の祈年祭と十一月の新嘗祭に使用する土器の土(埴土、はにつち)を畝傍山の山頂で採るのですが、その埴使は、まず河俣神社で装束を整えることになっています(装束の宮)
先日、畝火山口神社で、住吉の神のうちの神功皇后と表筒男命が御祭神であること紹介しましたが、埴取り神事と何らかの関係があるようです。
木葉神社(このは、橿原市雲梯町512)
河俣神社から曽我川をわたって西に5分ほどのところに木葉神社。
御祭神:木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
ご近所の方に聞きますと、畝火山口神社の宮司さんは河俣神社と木葉神社に来られるとのことで、地元では両社はセットのイメージでとらえられているそうです。
Wikiには「(河俣神社は)延喜式神名帳の式内大社「大和国高市郡 高市御縣坐鴨事代主神社」に比定(同じく神名帳には「河俣神社三座」という社名が見えるが、これは近くの木葉神社に比定されている)」と紹介されています。
*1:サギなどと解釈されることもあります。私は”鴨=出雲”の暗喩と考えます。