ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【東大寺七重塔・東塔復元案】ポッチャリとスッキリ どちらが好み?【奈良文化財研究所】

内容

1,300年前 #東大寺大仏殿 とともに建てられた #七重の塔 2基(東塔、西塔)#奈良文化財研究所 が東塔の復元案(重源案、栄西案)を発表しました。1970年 #大阪万博 では #古河パビリオン として再現されました

目次

本文

幻の東大寺七重の塔(東塔)復元案

ここ数日、奈良文化財研究所が、鎌倉期に構想された『東大寺・七重の塔』の「東塔」の復元案・二案を(研究所紀要2020で)発表したとのニュースが流れていますね。

第45代聖武天皇の時代(750~760年代)、高さが80メートルを超える東大寺の七重の塔は、大仏殿前の東西に二基(東塔、西塔)が立てられました(鎌倉時代東大寺縁起)

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東大寺縁起 鎌倉時代奈良国立博物館資料より)

1180年、平氏の南都焼き打ちで、七重の塔を含む東大寺の伽藍も多くが焼かれ、これを復元しようと、はじめに鎌倉時代の僧・重源(ちょうげん)(1121~1206)が設計、しかし工事の前に亡くなり、実際には栄西臨済宗の開祖、1141~1215)が引き継ぎました。

したがって、重源と栄西の二案があるという仮説のもと、奈良文化財研究所がそれぞれに図面で復元した、というニュースです。

(報道向けに発表された段階で、実際には紀要を読んでいませんのでニュース(今朝NHK)で流れていた内容で紹介します)

東大寺南大門を参考にした重源案

鎌倉期の東大寺再建で、重源がその建設に携わった南大門の建築様式をベースにしたものが重源案。

各層・瓦屋根の破風(はふ、軒)の下部、垂木(たるき)の部分がふくらんでいるのが特徴のようです。

全体的にぽっちゃり、ふくよかな感じですね。

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東大寺 南大門(AC)

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10月5日 朝のNHKニュースより拝借

東大寺鐘楼を参考にした栄西

また、実際に建築にかかわった鐘楼(しょうろう)の建築様式を参考にした栄西案も発表されました。

破風の下部の垂木の部分が薄く、軒先がやや反っていて、全体にすっきり、シャープな印象に映ります。

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東大寺 鐘楼(AC)

大阪万博(EXPO70)古河パビリオン

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大阪万博では七重の塔(86メートル)が復元されました。(古河パビリオン。万博閉会後に解体。現在、当時の法輪が東大寺境内に展示されています)

古河パビリオンは写真のように、見る角度によってポッチャリにもスッキリにも見えますので、重源と栄西の折衷案ということになるでしょうか。

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大阪万博・EXPO70 東大寺七重塔を復元した古河パビリオン(高さ86メートル)

www.zero-position.com

前回、万博の記事を書いた時、東大寺の七重の塔の再建構想があったことを知りましたが、それが今でも続いているんですね。

いつの日か(近い将来)、大きな大仏殿の横に、朱色の美しい七重の塔がそびえたつ光景を想像します。

できれば最新の防火・耐震構造の上で、古代の木造建築技術にチャレンジする取り組みなら、さらにワクワクしますね。

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