はじめに
継体天皇ゆかりの地の #上御殿遺跡。縄文中期後半(4000年前)以降、各時代の遺物が連続して出土。#高島歴史民族資料館 展示の #青銅器短剣 #石製鋳型 に注目。はるか西方 #オルドス様式 の可能性。しかし伝来ルートは不明。今のところ #オーパーツ としか言いようがありません
目次
本文
上御殿遺跡(高島市三尾里、同鴨*1)
湖西線・安曇川駅の南西、継体大王のえな(胞衣)塚の西側一帯に上御殿遺跡(かみごてんいせき)があります。
えな塚の西、すぐそばを御殿川(ごんでんがわ)が流れています(行政名は青井川。高島市を東西に流れて琵琶湖に注ぐ。【注】地図の青い点々(南北)は徒歩ルートの表示)
付近は継体大王にかかわる伝承の多いところで、地元では昔から一帯を『御殿、ごんでん』といっており、それが御殿川、上御殿の名の由来になったようです。
上御殿遺跡からは、縄文中期後半(4000年前)以降、弥生時代・古墳時代・奈良時代・平安時代・中世、といった幅広い年代の遺物が出土しています。
(現在は保存のため埋め立てられています。記事末に平成25年の現地説明会で使用された資料のリンク。興味のある方はクリックしてご覧ください。)
出土した青銅器短剣の石製鋳型が語るもの
2013年(平成25年)の滋賀県文化財保護協会による発掘調査で、今から2350年~1700年前(紀元前300年・弥生時代~西暦300年・古墳時代)のものと考えられる青銅器(双環塚頭探検、そうかんつかがしらたんけん)の石製鋳型(2個一組)が出土しました。
一部文字起こし)・・・この鋳型から復元された短剣は、柄と検身が一体で、柄頭に双環を持つなど、春秋戦国時代(紀元前770年~221年)の中国北方地域で使われていた『オルドス式銅剣』の特徴を持っています。しかし、オルドス式銅剣は、日本国内のみならず朝鮮半島でも出土例がないことから、朝鮮半島を通じて伝わったとされる銅剣の伝達ルートの定説に、一石を投じる大発見として注目を集めています
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幅広い推定年代で何とも言えませんが、重要なことは『最古の場合、紀元前300年ごろに青銅器時代が始まっていた可能性がある』ということです。
そして、はるか西方。シルクロードにもつながる『オルドス』の名。
2013年以降(一般の私たちが触れることができる)新情報が出てきていませんから、依然として謎(オーパーツ)のままなのでしょうか。
(次回。明日はお休み。明後日夜にアップ)
上御殿遺跡 現地説明会資料(2013年)銅剣鋳型の詳細説明