ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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【琵琶湖 沖島 奥津嶋神社】世にも珍しい『源氏の落武者』の島で航路を守る女神さまの社

はじめに

琵琶湖の #沖島、#奥津嶋神社 にお詣り。漁港と #琵琶湖 を見おろす頭山に鎮座する宗像分祀式内社鎌足の息子で、平城京遷都など奈良時代の成立に深くかかわった #藤原不比等 の創祀と伝えられます。由緒には島民の祖先は、世にも珍しい『源氏の落武者』と書かれています

目次

本文

津嶋神社滋賀県近江八幡市沖島町)

琵琶湖に浮かぶ沖島には、前回紹介した弁財天・厳島神社(いつくしまじんじゃ)と奥津嶋神社(おくつしまじんじゃ)があります。

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琵琶湖 沖島 左)奥津嶋神社 右)弁財天・厳島神社

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式内社・奥津嶋神社の御祭神は、宗像(むなかた)三女神の長女、多岐理比売命(たごりひめのみこと、タゴリヒメ)。

(なお、沖島厳島神社は弁財天(弁天さん)、つまり、宗像三女神の三女、市杵嶋姫(イチキシマヒメ)が御祭神)

創建(和銅五年、712年)は「淡海公、たんかいこう(古代、琵琶湖は淡海と称された)」の諡号(いみ名)が付けられた藤原不比等鎌足の息子)と伝えられています。

沖島漁港からすぐ、集落の細い道を抜けて、沖島西部の頭山(標高141m)の麓~中腹に鎮座しています。

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式内社・奥津嶋神社沖島

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津嶋神社沖島

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津嶋神社沖島)拝殿と本殿(一間社流造)

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津嶋神社沖島

以下、御由緒の要約です。(文字起こしは記事末(社歴略記)をご覧ください。一部、現代訳)

● この島(沖島)は古くより神の島として、航行と船舶の安全を祈願した

● 元明天皇和銅五年、淡海公 藤原不比等が勅許を得て社殿を創祀

● 本社は筑前宗像神社の分神を遷されたもので、延喜式神名帳に「蒲生郡一十一座の内、奥津嶋神社 名神大社」と記載された式内社

● 紫式部家集に「おいつしま 守りの神や いますらむ波も さわがぬ わらわえの浦」とある

● (沖島)島民の祖先:平安時代、保元平治の乱で平家の勢力に押された源氏の勢力が住みついた世にも珍しい「源氏の落武者」

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津嶋神社沖島)御由緒書

境内からは沖島漁港周辺、琵琶湖を一望することができます。(右側の赤い鳥居から山神神社へ)

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津嶋神社から沖島と琵琶湖(パノラマ撮影)

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山神神社参道から。奥津島神社、琵琶湖

山神神社(御由緒不明)

津嶋神社より高い位置に鎮座しており、相当に古い神社と考えられますが、御由緒は不明です。

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山神神社

淡海の海 沖つ島山 奥まけて わが思う妹が 言の繁けく

神社の帰り、沖島漁港の街中に万葉歌碑が建てられていました(令和元年。柿本人麻呂選の歌のひとつ)

あふみのうみ おきつしまやま おくまけて わがもふいもが ことのしげけく

「淡海の海」は琵琶湖の古語。「沖つ島」は沖島のこと。古代には「沖」は「奥」と表現、または、考えられていました。

「奥まけて」の解釈がひっかかり(←古代妄想)、現代語訳がむずかしいです。

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万葉集 巻11-2439(柿本人麻呂歌集)

はたして琵琶湖の沖島にはおタキさま(タキツヒメ)はおられるのでしょうか。

津嶋神社(タゴリヒメ)と厳島神社イチキシマヒメ)を結ぶラインは漁港(湖底)。。。ですか。

あるいは、島の東の尾山(宝来ケ獄、225m)の山中に滝があれば。。。妄想が膨らみますね。

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宗像大社・三宮 三女神の直線ライン 沖は奥

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社歴略記(文字起こし)

近江八幡市沖島町188番地鎮座、奥津嶋神社

祭神 多岐理比売命(たごりひめのみこと) 又の御名を瀛津島比売命(おきつしまひめのみこと)と称し、三女神の長女に坐します

社伝に曰く、この島は古くより神の島として航行の船舶が安全を祈願した。紫式部家集に「おいつしま 守りの神や いますらむ波も さわがぬ わらわえの浦」とあり、元明天皇和銅五年、淡海公 藤原不比等が勅許を得て社殿を創祀す。

延喜式神名帳に「蒲生郡一十一座の内、奥津嶋神社 名神大社」とあり、本社は筑前宗像神社の分神を遷されたもので鳥居の額に瀛津島神社とある。その証據(根拠)である。神社の社標は咢堂翁 尾崎行雄氏の揮毫による。

鎌倉以来徳川まで、武将はこの島を湖上航行の要所として禁制を布令し、本社に武運を祈願した。島民の祖先は平安時代、保元平治の乱により平家の勢力に押されて坂本・堅田に駐屯していた源氏の一族が湖上を北陸に向かった時に、軍船一隻がこの島に難破し、以来、その乗組武士がこの島に住みつき、世にも珍しい「源氏の落武者部落」を造った。神社の氏子の中心をなすものはこの住民である。明治36年4月28日、明治天皇、京都大宮御所行幸の際、日野西侍従を差遣せられ、鰉(ひがい)漁業大地曳網の実況を御視察せしめ給い侍従は島に上陸して当社に参拝せられた。

大正・昭和の御大典には大嘗祭の御饌として鰉(ひがい)を加えられ、この島に御下命になり、これが奉納に際しては当拝殿において潔齋の上、謹製上納した。おもうに当社は琵琶湖を守る神として崇敬せられ、世の進むにつれて湖の水が京阪神の水源地として重要視される時、昔より琵琶湖を守護する唯一の神社として水の恩恵の如何に深きかを啓示せられるを知り、一般の崇敬も一層深かるべく神明の加護も著しきことを信ずるものであります。

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