はじめに
宮城県多賀城市の #荒脛巾神社 の境内、その配置自体が謎。さすが!謎多き #アラハバキ信仰 のお社。境内図をつくったり、いろいろ調べ、ようやく糸口が。謎が謎を呼ぶ展開は、まるで #推理小説
目次
本文
荒脛巾神社 境内図を作ってみました
先日紹介した宮城県多賀城市の荒脛巾神社(あらはばきじんじゃ)(10月17日参拝)
境内には、二つの社が並んでいます。
向かって左の社。前に「荒脛巾社」、後ろに「道祖神」の二つの祭壇。右の社は養蚕神社(ようさんじんじゃ)。
そして、二つの社の間に「二荒神社」の碑。
言葉だけでは難しいので、簡単な境内図を作りました。
いろいろな神社を巡っていますが、奉納物やご利益も含めて、これほど、意味が読めない神社も、そうありません。
荒脛巾社と道祖神の二つの祭壇、養蚕神社の「病の根を切る」、二荒神社の碑 、、、わからないことだらけ。
参拝後、約2ケ月近く経って、ようやく糸口がつかめてきました。
アラハバキ信仰について
アラハバキ信仰について、調べたり、資料を読んだりしていて、わかってきたのは、たくさんの説があること。
たとえば、考察者の住まいする地域によって、解釈(入り方)がいろいろ、それぞれで、そこから先、まるで、古代の道「やちまた」のごとく末広がりで諸説に散らばって行くイメージ。つまり、考察者の数だけ説があります。
多いのは、アラハバキの記憶がダイレクトに残る北東北らしく、オシラサマ、イタコとの関連考察でしょうか。
また、いかにも民間信仰らしい言葉遊びのような連想的繋がりによるものもありました。
養蚕神社の「病の根を切る」の意味するところ
アラハバキには縄文以来の「石神」信仰が底流にあると考えられます。信仰というのが正しいのかは、まだわかりませんが、それを石像(考古学では石棒)にするスタイルです。
「石神」とは男性のシンボルのこと(縄文時代は女性のシンボル・丸石とセットになっていたと考えられます)
ふるくは「シャクシ」「シャクジ」等と云われ、おそらく江戸期に「セキジン」と呼ばれるようになり、「セキ」が転じて「咳」、ひつこい咳には痰がからむので「痰を切る」ことから「病の根を切る」。
多賀城市の荒脛巾神社では、機織り(はたおり)の養蚕神社に「ハサミ」を奉納することで「病の根を切る」御利益を祈るようになったと思われます。
しゃくしとおしゃもじさま
「痰切り」信仰について、たいへん参考になるサイトがありましたので、リンクを貼っておきます。よかったらご覧ください(東京都、青梅郷土博物館)
私には驚きの内容(目からウロコ)。
縄文時代にどうであったかは別にして、時々、土中からあらわれた縄文時代の遺物が、世俗的な信仰に繋がっていった経緯が書かれています。
なるほど、おしゃもじのカタチは、男性のシンボルのカタチですね。
はてなブログのページデザインにチャレンジ
光 (id:mitsu5858) さんの記事を参考に、定型文貼り付けで、とりあえず囲みの見出しデザインから作ってみました。ありがとうございます。