はじめに
奈良市内 #倭文神社 #しずりじんじゃ に参拝。春日大社系・藤原氏の一族が769年に勧請。一帯の古地名は辰市郷。境内社に #蛇塚神社 が鎮座するなど #大蛇伝説 が残されています #ヤマタノオロチ伝説 #スサノオ #龍頭山西福院 #物部氏
目次
本文
御祭神:武羽槌雄神(たけはづちのおのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)、誉田別命(ほんだわけのみこと)
奈良市内の平城京から南に、車で10分ぐらい。(電車等では少し行きにくいところに鎮座しています)
機綴(はたつづり)と裁縫の倭文(しずり、しとり、しとおり、しどり)のこと、特に御紋を確認したく参拝しました(蟹守にセットで対応する紋)
創建は神護景雲二年(769年)、藤原氏の中臣連(なかとみのむらじ)の一族が春日大社より勘定(お招き)した神社です。
よって御神紋は春日大社の「下がり藤」でした(倭文氏の紋はわからず)
鎮座地は西九条町(さいくじょうまち)ですが、一帯は古くから辰市(たついち)郷と呼ばれ、倭文神社を中心に 大蛇 の伝承が多い地域です。
倭文神社には大蛇の話が伝承されています。
倭文神社の北側に隣接して、山号が「龍頭山」という西福院があり、寺の敷地の外れに蛇塚神社(じゃづかじんじゃ)が鎮座しています。
おそらく倭文神社の土地に、後に西福院が置かれた名残でしょう。
御祭神は須佐之男命(スサノオ)で、八坂神社とも称されています。
地元の方に聞きますと、大昔、一帯に大蛇が棲んでいて、退治したときに、シッポが東南(辰巳の方向)約4キロの帯解(おびとけ)まで飛んで行き、残った頭を祀るため土塚が盛られ、それが蛇塚神社になったといいます。
シッポの方は、帯解で祀られていたらしいとのこと。(帯解あたりをしらべてみると、八坂神社が二社(一社は牛頭天王社)あります。何か伝承があるかも知れません)
倭文神社の御祭神に、経津主神(ふつぬしのかみ)が列せられる理由でしょう。「フツ、経津」はモノノベ氏の軍事系の言霊(ことだま)
(モノノベ氏の祭祀系の言霊は「フル、布留」)
モノノベ氏の始祖はスサノオ。
ヤマタノオロチに酷似した伝承は、古代にこの地域で起きた勢力争いを暗示しているように思えます。
このほかにもうひとつ蛇の話、また、三種の神器によく似た話も地元の方に聞き取りしましたので次回、紹介します。
御由緒(文字起こし、開物加筆)
称徳天皇の御世、神護景雲二年、春日大社御蓋山(みかさやま、春日山のこと)の頂に遷座した後、中臣連(なかとみのむらじ)時風・秀行氏が、この地に居住し、勧請(お招き)したと云われ、その祖、武羽槌雄命(織部の神)を鎮祭した倭文(しずり)氏はその後胤で、この郷に住んで神衣を織ったと伝えられている。経津主命が春日大社第二殿に奉(たてまつ)られている武神。誉田別命は応神天皇で八幡宮である。御神徳。あらゆる生産、商売、安産の守護神として信仰されている
アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る(新章公開)
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