はじめに
一月十日の #十日戎。九日は宵戎、十一日は残り福。#堀川戎神社 に参拝。境内に榎木稲荷と地車稲荷(だんじりいなり)。今はお稲荷さんですが、どうやらここ、元はタヌキだったようです
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本文
堀川戎神社 十日戎 参拝
一昨年まで今宮戎(いまみやえびす、大阪市浪速区)で『商売繁盛』の木札をいただいてたのですが「B to Bの仕事は堀川さんの方がよいかも」という声もあって前回から堀川戎神社(大阪市北区)にお詣り。大阪のミナミは飲食店をメインに客商売が多く、キタはビジネスのオフィス街が多い、というエリア的なものも関係あると思います。
境内の一角に榎木稲荷神社の赤鳥居。
祠の中には珍しい地車(だんじり)のカタチをした本殿。祭壇には地車のミニチュア(お供えがこれまた珍しいぐるぐるうずまきのロマネスコ*1(緑色))
(関西では、男衆が引く大きな山車を、猛スピード・急角度で転回させる岸和田のだんじり祭りが有名ですね)
さらにその奥に地車稲荷(だんじりいなり)。榎木稲荷との間の通路が狭くて斜めから撮影。
神社のご由緒には「慶長3年〈1598〉に掘られた天満堀川(てんまほりかわ)の堀止めの横(土手)に榎の大木があり、いつの頃からかその木に神霊(句句廼知神、ククノチノカミ。イザナギ・イザナミの神産み*2で生まれた木の神様)が鎮まっていると考え、その根元に祠を作りました」とあります。
「天保9年〈1838〉に天満堀川が、大川(淀川)まで延長して掘られ通水した時に、堀川戎の土地に本殿・拝殿が造営され、その際、堀川戎神社末社の稲生神社の別魂(宇賀御魂神、ウカノミタマノカミ)を合祀した。地車の本殿は戦災で焼失したのを機に昭和30年に再建されたもの」だそうです。
老タヌキ・だんじり吉兵衛のお話
土手に榎の大木があったころ、堀川あたりに年老いた吉兵衛と呼ばれたタヌキがいたそうな。
このタヌキ、大変陽気なことが好きで、夜中になるとだんじり囃子を真似て「チキチンコンコン、チキチンコンコン」と啼いていたそうな。
まるで自分の家の前を通るように聞こえるかと思うと、遠くで囃しているようにも聞こえ、また淋し気にも聞こえ、町の衆はずいぶん怖がるとともに、やがて吉兵衛のことを厚く信仰する者もあらわれ、榎のそばに「だんじり吉兵衛」を祀っていたそうな。
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榎の大木とともに「だんじり吉兵衛」の霊も堀川戎の境内に遷り、お稲荷さん、どうやらケツネ*3に化けてしまったよう。
堀川戎に引っ越してから、吉兵衛のだんじり囃子はハタと止んだという。
まさかっ!というそこのアナタ。タヌキがケツネに化けることもあるんですよ。
連載中「アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る」