ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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【妻問婚・考】弘法大師・空海さんは河内(八尾)生まれ!?【安曇海人族の道】

はじめに

大和平野(飛鳥・磐余)から住吉さんや古代上町半島に繋がる水路と陸路、#安曇海人族の道 を探す中で興味深い話を見つけました。#弘法大師空海 #畿内誕生説 #佐伯氏 #阿刀氏 #跡部神社 #武内孝善氏

目次

本文

跡部神社あたり。空海さんのお母上・玉依御前の出身地

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先日、古代(主に古墳時代)の住吉津と大和平野(磐余、いわれ)を繋ぐ水路の要衝を支配した阿刀(あと)氏の氏神跡部神社(あとべ、八尾市亀井町2-4-5)を紹介しました。古代地名は河内国渋川郡跡部郷。

阿刀氏は水路の要衝の水運業で勢力を持ち、またその姓からも、安曇(あど、あずみ)系海人族の一氏族であることが推理できます。

www.zero-position.com

阿刀氏からは、空海のおじさん・阿刀大足(あとのおおたり)が出ています。そしておそらく妹が玉依御前(たまよりごぜん)で知られる空海さんのお母上です。(Wiki空海では玉依御前は大足の娘となっていますが、本記事ではおじさんとしています。)

玉依御前は諱(いみな)、一種の神名ですので本名は不明ですが、阿刀氏宗主・安斗智徳(あとのちとく)の娘で、おそらく兄が阿刀大足ということです。

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安斗智徳は、壬申の乱のきっかけとなった大海人皇子天武天皇)とサララ姫(持統天皇)が吉野に脱出する際に、付き従った舎人(とねり)二十数人のうちの一人。大海人皇子の脱出行に海人族の阿刀氏宗主らが、海人族の大勢力が盤踞する吉野まで従ったという図式です。

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玉依御前は、女人高野・九度山和歌山県伊都郡)の慈尊院(じそんいん)で祀られています。

jison-in.org

空海さんの河内誕生養育説

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弘法大師空海 肖像画

弘法大師空海さん(俗名;佐伯真魚、さえきのまお)は、佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)の子として774年に讃岐国多度郡屏風浦(現在の香川県善通寺市)で生まれたというのが通説です。

これに対して2006年に高野山大学教授・武内孝善氏が畿内生誕説を提唱しました(弘法大師空海の研究、吉川弘文館

大筋の内容は次の通りです。

 ● (空海さんの出自は)古い伝記等に「法師は讃岐国多度の人。俗姓は佐伯直。」とあるところから通説となった

 ● 一方で、阿刀氏のこん跡が讃岐国にはない

 ● したがって空海さんは河内で生まれ、幼少期は母上の手元で養育された

 ● 当時は妻問婚(つまどいこん)は普通だった

私もこの説にうなづきます。妻問婚とは「婚姻生活の場を妻方におく婚姻」の形態で、いわゆる縄文以来の母系制社会の根幹となる文化ですから。

(一説かも知れませんが、豊臣期の太閤検地においても妻方を戸主としていたと聞きます)

ましてや、佐伯氏と阿刀氏の宗主家どうしの婚姻である場合、子宝は妻方で養育することが当たり前と考えられます。

それに何より、讃岐の佐伯氏、河内の阿刀氏とも、当時の安曇氏の主流であった大伴氏(住吉が拠点)を介した海人族でくくられ、縁組みするに十分な理由です。

武内孝善氏が提唱した「畿内生誕説」は、私的には筋が通っていて、十分に根拠があると思います。

空海さんが、列島の海を自在に動き回った海人安曇氏の系であれば、19才過ぎの山林修行入りから入唐に至るまでの 謎の10年間、どこで何をしていたのか、解明する手掛かりになるかも知れませんね。

さて、ご覧の皆さんはどう思いますか。

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