はじめに
安倍文珠院(奈良県桜井市)。孝徳天皇の勅願で建立された安倍一族の氏寺。国宝・#騎獅文殊菩薩像。イカれた目の感じが印象的。馬曳きならぬ獅子曳き
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今朝、数えてみますと、2019年04月11日スタートの当ブログも、587記事。
最近は週に5回ほど更新してますので、たぶん今月末には600記事になるかと思います。
本日は建国記念日であります(ムリヤリ)ので、新しいマークに変えることにいたしました。
隼人の楯(はやとのたて)からです。
上にチラと見える毛は楯に結び付けられた馬のタテガミ。まさしく、楯の髪でタテガミです。
平城京跡から出土した楯をモチーフに、奈良文化財研究所のシンボルマークにもなった古代デザインです。
魔除けの意味があったと解釈されていますが、古代(蝦夷)の人々には『馬』に見えたんじゃないか(見せたんじゃないか)と完全妄想(完妄)しています。
安部文珠院 騎獅文殊菩薩像(国宝)
安倍倉梯麿呂(あべのくらはし・まろ)が孝徳天皇の勅願により、安倍一族の氏寺として創建しました。
安倍(阿倍)氏は第八代・孝元天皇の皇子、大彦命を祖とし、征夷遠征した阿倍比羅夫、陰陽師・安倍晴明、がよく知られています。
獅子のイカレタ目の感じが、グルグル渦巻きを連想させます。笑
ライオンなんですが、鎌倉時代の日本にはいませんから、作者の快慶さんは何(誰)をモデルに造ったんでしょうか。
獅子を綱で曳く従者(優填王、うでんのう、ウダヤナ)もいますが、ライオンなら、よほどの剛力でないと無理でしょうね。
日本の三文珠といえば安倍文珠院、京丹後の切戸文殊(京都府宮津市智恩寺)、出羽の亀岡文殊(山形県高畠町)。他にも有名な文珠はありますが、丹後と出羽、聖徳太子とご縁の地にあるのは偶然でしょうか。
宮津は間人ガニ(たいざがに)が名物ですが、太子のお母上・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)が一時滞在された地名に由来します。
出羽は、後に能除大師と称された蜂子皇子がヤマトを命からがら脱出する際、太子が助力し、無事たどり着いた地です。
太子信仰は、奈良・平安時代まで、文武両道 だったのではと近ごろ考えています。
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はい、みなさんにお別れのご挨拶。
アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る(新章公開)
第24章)馬の古代史