はじめに
大阪市 #阿倍野区 #安倍晴明神社。陰陽師 #安倍晴明公 を祀る神社。一帯は #古代難波津 の入り江で水運にたずさわった #阿倍氏(安倍氏)の支配地。境内には #古代船の錨 という #鏡石(#孕み石)が置かれています
目次
本文
あべのハルカス前の乗車場(天王寺駅前)から。大阪ではチン電と呼ばれるチンチン電車の阪堺線(はんかいせん)で3駅目。
東天下茶屋(ひがしてんがちゃや)駅で下車、徒歩すぐのところに鎮座しています。
あべのハルカス前からつながる神社鳥居の前の道が熊野街道。このまま写真手前、南の方に進めば住吉大社に行きます。
御神紋は五芒星。境内の様子は以前紹介していますのでそちらで。
なお、現在の阿倍野区は、一帯を支配した古代豪族・阿倍氏(安倍氏)の名に由来する説が最有力です。
あべのハルカスに上ってお祈りすると、清明さんの陰陽力が働くかもしれません。笑
鏡石(孕み石、はらみいし)
説明板)この大石は 古代の船の錨 で鎮める意から安産を祈る石となり、孕み石と呼ばれて信仰されています
大阪の市街地・上町台地は、古墳時代は、標高地図のちょうど青のエリアがほぼ海で、古代・上町半島でした。
安倍晴明神社のあたりは入り江の奥で、住吉と四天王寺・難波宮をつなぐ海路の湊(みなと)だったと考えられます。
海人・安曇(あど、あずみ)系の安部(阿部)氏は、ここで水運を業としていたのでしょう。
鏡石はその時代の名残ということです。
海人・安曇族の道
先日紹介した海人・安曇族の道-水路と陸路で、住吉から大和平野(磐余、飛鳥)へつながる道-を理解すると、古代妄想がはかどります。
奈良県桜井市(磐余、いわれ)の安倍文珠院は、孝徳天皇(飛鳥時代、難波宮を本拠とした)の時代、安倍氏の氏寺として創建されましたが、ここに安倍晴明公を祀る清明堂が平成16年に再建されました。
安倍清明神社と安倍文珠院のつながりは、海人・安曇族の道で繋がります。
安倍氏からは、皇極・斉明女帝(飛鳥)の時代に、征夷の東国に向かった阿倍比羅夫(あべのひらふ)が出ています。
日本書紀では、阿倍の水軍が渟足柵(ぬたりのさく、現在の新潟市あたり)から出羽国(飽田、あぎた、現在の秋田県)に入り、津軽、渡島(粛慎、みしはせ)に進んだと記述されていますが、その前に、阿倍比羅夫がヤマトから日本海に抜けたルートも推理できます。
アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る(新章公開)
第24章)馬の古代史