はじめに
神社の #随神門 には大伴と佐伯の木造が一対。#天孫降臨神話 では門は #天岩戸別(#櫛岩窓 #豊岩窓)と紹介されています。謎の多い神様ですが #櫛石窓神社 の木造坐像の姿は #聖徳太子 #神功皇后 かも。それぞれ馬と牛に縁のある人物です
目次
- 随神門と随身(随臣)像のこと
- 天孫降臨神話にも書かれた随身
- 天孫降臨神話。門の神・天石戸別(あめのいわとわけ)
- 謎の櫛石窓(くしいわまど)、豊石窓(とよいわまど)
- 馬に乗る聖徳太子と牛に乗る神功皇后
- 櫛岩窓=聖徳太子(馬)豊岩窓=神功皇后(牛)ならば
本文
随神門と随身(随臣)像のこと
中部・北陸以東の神社には、随神門(ずいしんもん)という建造物があったりします。
拝殿や本殿がある境内に入る前にくぐる門で、両サイドの小部屋に、随身(ずいしん)といわれる木像が一対、置かれています。
いわゆる、宮門(みかど)を守護する近衛兵。神社をひとつの宮廷と見立てて、その門(朝廷の権威)を守護する神像として置かれているわけです。
随身(随臣)は、おそらく奈良時代(天武・持統期の藤原京)の礼式に則って、向かって右の左大臣(老人)が大伴氏、もう一方の右大臣(若者)が佐伯氏をあらわします(おおとも、さえぎ)
平安時代から始まった雛飾りでも、この礼式に沿って随身(随臣)が置かれます(ガネしゃんさん(id:yu_me_po-lly) のブログより)
邇邇芸命(ににぎのみこと、天孫)が地上に降臨した時、天忍日(あめのおしひ)と天津久米(あまつくめ)が、立派な弓矢と太刀を身につけ天孫を先導し守護したという話とともに 天忍日は大伴連らの祖先、天津久米は、久米直らの祖先である と紹介されています。
天孫降臨神話。門の神・天石戸別(あめのいわとわけ)
同じく天孫降臨神話では 天石戸別(あめのいわとわけ) と 手力男(たぢからお) が登場します。簡単に言うと、天石戸別が門、それを開けるのが手力男という役回りです。
そして、天石戸別のまたの名が、櫛石窓(くしいわまど) あるいは 豊石窓(とよいわまど)で、宮門(みかど)を守護する神である、と書かれています。
謎の櫛石窓(くしいわまど)、豊石窓(とよいわまど)
この天石戸別の、櫛石窓・豊石窓という神名は天孫降臨でしか登場しない謎の神です。
いろいろ調べていて、櫛石窓神社(くしいわまどじんじゃ、兵庫県丹波篠山市福井)に、櫛岩窓命と豊岩窓命の木造の座像があることを知りました。
(写真は文化庁の文化財DBより。どちらも盗難されたらしく文化庁ページでは”お心当たりがありましたら連絡ください”の記載。)
木造櫛岩窓命坐像(https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/torimodosou/kunishitei/26_1.html)
木造豊岩窓命坐像(https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/torimodosou/kunishitei/26_2.html)
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二つの座像を見て『どこかで見たことがあるなぁ』と思いませんか。
木造豊岩窓命坐像は 神功皇后(じんくうこうごう)
聖徳太子の方は、日本古代史で笏(しゃく)を両手で持つのは他に菅原道真公と日蓮上人だけ。衣服と表情を見て、聖徳太子だとすると 水鏡御影(みずかがみぎょえい) といわれる様式です。法隆寺・聖霊院の木造・聖徳太子および侍者像がモデルです。
神功皇后の方は、奈良・薬師寺の僧形八幡三神像(現在は奈良国立博物館)の向かって右の神功皇后像をご覧ください。
(僧形八幡神を中心にし、右に神功皇后、左に仲津姫命を配置。仲津姫命は右ヒザを立てていますので違います。こちらはウカノミタマでしょう。)
菅原道真公を祀る全国の天満宮(天神社)にも御神牛像が置かれていますが、牛に乗る のは神功皇后だけです(八幡古表神社、福岡県築上郡吉富町)
聖徳太子が馬に乗るのは、当ブログで何回か紹介した通り。
長くなりましたが、櫛岩窓=聖徳太子(馬)豊岩窓=神功皇后(牛)ならば。
「葦原中国(あしはらのなかつくに)でツクヨミをもてなした保食神(うけもちのかみ、古事記ではオオゲツヒメ)。料理を口から吐き出すのを見たツクヨミに『気持ちが悪い』と切られるのですが、その屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた」という日本神話。
牛馬とも頭から生まれた ことになっています。
さて、牛頭天王、馬頭観音、、、。牛頭天王=スサノオが定説っぽいのですが。果たしてどうなんでしょうか。
いずれにしても、聖徳太子と神功皇后なら馬と牛で門を守る?ことになります(門を守るというのも変ですが)
菅原道真公と神功皇后ならウシウシになって、意味的にはちょっと並びが悪いですね。笑
アラハバキ解(新章公開)